うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

来年の手帳と、うつ病治療にスマホアプリと、【これらはしばしば言葉を越えた経験であり、私たちの中に喚起される感情を通して、つまり広い意味での逆転移を通してしかとらえられない場合が多い。】


 来年の手帳が来ました。またまた(笑)京都手帳。
内容は読んだことがなく、カレンダーとメモの部分が使いやすいので、何となく買ってしまいます。
 12月の予定を移し換え、11月が済んだら、1冊にします。
 夜勤明け、自分の受診があり、豊橋まで行き、用事を済ませに浜松にも行きましたが、危ない(笑)親分の運転でも、ぐっすり眠っていました(笑)




帰宅してパソコンを開いたら、下記のニュースがありました。

うつ病治療にスマホアプリ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171116-00050007-yomidr-sctch

 記事だけでは、よくわかりませんが、認知行動療法のアプリのようですね。
少し前に読ませて頂いた、伊藤絵美先生の本を思い出しました。機会があれば使ってみたいですね。
 簡単にコーピング等出来ればいいですね!







 昨夜?深夜?早朝?夜勤の休憩時間(まあ30分ぐらいですがw)に、コーヒーを淹れて本を読みました。
今は6,解釈:現在における過去を読んでいますが、アップは昨日電車の中で読んだ箇所です。やっと少しずつですが、前に進めいる感じがして来ました。まだまだですが.....。

5,転移:全体状況
 ベティ・ジョセフ
 メラニー・クラインは、早期の対象関係や早期の心的機制――特に、投影同一化――についてのとどまることなく重ねられた業績を通じて、転移の性質や進行中の転移の過程についての私たちの理解を広げた。『転移の起源』(1952)で彼女は、「私の経験では、転移を詳細に解明する上で、情緒、防衛、対象関係ばかりでなく、過去から現在に転移されている全体状況という観点から考えることも重要である」と書いた。彼女はさらに、転移が分析家との直接的な関係という観点からいかに長い間理解されてきていて、たとえば日常生活についての報告のようなことがらが、転移状況で起こった無意識的不安への手がかりを与えてくれることが理解されたのは後になってにしかすぎなかったことを述べた。私には全体状況という考えは今日の私たちの転移の理解や使用の基本と思えるし、このことこそがさらに探究したいものである。定義上、それは患者が関係性にもち込んでくるすべてを含んでいるはずである。患者がもち込んでくることは、関係性の中で起こっていること、つまり語られていることに伴いあるいはそれを越えて患者がどのように分析家を使っている家に注意を向けることで最もうまくとらえることができる。私たちの転移の理解の多くは、患者が私たちにさまざまな理由でものごとを感じるよう働きかけてくるそのやり方についての理解からくる。すなわち、いかに患者が私たちを彼らの防衛システムに引き込もうとするか。いかに患者が私たちとともに転移のなかで無意識に行動化し、私たちを彼らとともに行動化させようとするか、いかに患者が幼児期より築き上げられ子どもからおとなになるまで練り上げられた内的世界の側面を伝えるか。これらはしばしば言葉を越えた経験であり、私たちの中に喚起される感情を通して、つまり広い意味での逆転移を通してしかとらえられない場合が多い。
 逆転移――分析家の中に喚起される感情――は、転移そのものと同じように本来分析作業の妨げになるものとみなされたが、今日では、この広い意味に使われる場合、私たちはこれももはや妨げになるものではなく分析過程の必須の道具とみなす。さらに、使われているという考えや絶えず何かが起こっているという考えは、私たちがそれに気づくことができさえすれば、転移の他の多くの側面――のちほどこれを論じたい――を切り開く。たとえば、動きと変化は転移に欠かせない側面であること――その結果、いかなる解釈も純粋な解釈あるいは説明とみなすことができない。それらは患者の中で彼や彼の機能のしかたに特異的に共鳴するに違いない。そのとき患者が機能している水準や不安の性質は、いかに転移が転移が活発に使われているかを知ろうとすることで最もよく測ることができること。転移で見えるようになる変化は、最後に本当の心的変化となるものの必須の部分だということ。これらの点は、転移されている全体状況という観点から私たちが考えているなら、ずっとはっきり現れてくる。