うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

朝焼けと、作為・不作為と、【ホーナイ(Horney)は「陰性治療反応の問題」(1936)】


今日と明日は早番です!
風が強かったですが、晴天だったので空がきれいでした。
 明日もきれいな朝焼けが見れるでしょうか?

 昨夜、またセクシーねこさんだったので、携帯を向けると威嚇されました(笑)


 今日も色々あり、沢山待ち時間があったので本が大分進み、打ち込みも沢山出来ました。
全部は多すぎるので、小分けしてのアップです(笑) 
 固着点を作らないようにするにはどうしたら良いのか?が目下の課題ですね。
躁的防衛・妄想ー分裂ポジション・抑うつポジションがキーポイントですね。


 中井久夫先生が、立派な医師、立派な治療は患者をダメにすると言っていました。
作為と不作為という言葉がありますが、作為を不作為に見せる技が、茶道でも重視されます。
 支援においても、その技が重要なのは変わりないように感じています。

 アップは昨日の続きです。


第Ⅲ部 自己愛が分析家の作業に及ぼす影響
第5章 陰性治療反応を起こす自己愛的な患者



3)ホーナイ(Horney)は「陰性治療反応の問題」(1936)という論文において、多くの重要な臨床的観察を行っており、この難しい問題をいかに取り扱うかについての技法的な示唆も述べている。彼女は、陰性治療反応が最もよく起こるのが、特別に良質の解釈の後であることを観察し、特別の良質の解釈は、患者には、分析家が優れており、高い知性をもっていることを示すものとして経験されるため、それに対して患者は憤慨、侮り、蔑みによって反応し、分析家よりも自分のほうが優れているとの主張を試みる。第二点として彼女は、完全で、欠点がなく、非のうちどころなくありたいという患者の自己愛を重視する。良質の解釈は、患者のなんらかの欠点をあらわにするので、患者はそれを自己愛に対するひどい打撃として経験し、辱しめられたように感じるのである。自分はだれよりも優れているという患者の信念を脅かすのが分析家の機能であり、患者は分析家を辱しめ、分析家は重要でなく無力であると感じさせることにより反撃するのだとホーナイは考えている。第三にホーナイは、分析家の助けを借りて良くなることに対する患者の恐れを強調するが、そのような成功は常に、心のなかで「相手を潰し、潰れた相手に対して意地悪く勝ち誇る」(1936:37)という反撃や失敗を恐れることに必然的につながる態度に結び付いているからである。成功を恐れることは、次のようにも表現できよう。「もし私が成功すれば、私が他の人の成功に対して感じるのと同じような性質の怒りと羨望とを誘発するだろう」。ホーナイは考え自分の見解とフロイトのものとの間に共通する面を見ている。しかしフロイトがこうしたタイプの患者のなかの罪悪感を強調したのに対し、ホーナイは、メラニー・クラインが観察した羨望する超自我につながる、羨望による報復に対する恐怖、迫害的な不安状況に力点を置いている。ホーナイは陰性治療反応を幼児期に結びつけて考えることを慎重に差し控え、「私は患者が提供した素材のなかから、分析家に向けられた反応に結び付けられる部分を選び出し、それらについてしか解釈しない」(1936:43)と強調している。

4)リヴィエール(Riviere 1936)は、陰性治療反応がなぜその他の治療上の障壁よりも一段と分析しがたいものであるのかについて探求することに関心を持っている。彼女は、フロイトが精神病的な患者と自己愛的な患者とを同じように治療不可能とみなしたと論じる。陰性治療反応は良質の解釈への反応ではなく、不適切な解釈への反応なので、それによって分析家はこの問題の更に深い原因を探す方向へ導かれると彼女自身述べている。
 リヴィエールは、自己愛的なタイプの特に頑固な症例においては、自己愛の欠くことのできない一部分である内的対象世界の分析にもっと注意を払うべきであり、自己愛の肯定的な側面に騙されずに、その底流にある抑うつを探っていくべきであると提唱した。彼女は、抑うつに対する躁的防衛、患者が心的現実に向ける万能感的な否認、とりわけ自我の対象関係と対象への依存を巡る感情の否認について詳細に記載した。彼女はまた、対象を躁的に軽蔑したり格下げすることや、対象をコントロールし、服従させようとすることを重視しているが、彼女の見解では、そういう点が自己愛的な患者が分析家の言うことは何でもその価値を否認することのあらわれなのである。リヴィエールは、自己愛的な患者が万能感的なコントロールによってそのまま、状態を維持しようとする欲求を強調した。患者がそういう欲求をもつのは、躁的で万能感的な防衛が弱体化すると、抑うつ的な不安に結びついた救いのない絶望に直面することになり、それが現実となるこてをカレが恐れているからである。陰性治療反応をかくも強固にしているのは、破壊されたか、あるいは死んでしまった内的対象に対する無意識的な愛と不安であり、それが耐え難い罪悪感と苦痛を生むと彼女は信じている。患者は、これらの内的対象を表象している他者のために自らの命を捧げる必要があり、そのために死や自殺へと向かうことになる。これまで状態はフロイトが言う無意識的な罪悪感と同じではないと彼女は言う。内的対象を修復し癒すまでは、自分が分析家によって救われるに値せず、それほどの価値もないという患者の気持ちと陰性治療反応とを彼女は関係づけている。彼女は万能感的なコントロールが特に陰性治療反応と関係していることも指摘している。患者は、自分の状態が変化し始めるとコントロールを失うので、自分が耐えられると分かっている以前の状態に早急に戻らなければならないのである。彼女の論文では、この難しい臨床的な問題をいかに扱うかについて、技法的にも、臨床的にも詳細に論じられている。リヴィエールは、分析家が攻撃性以外の何かを見落としたときほど陰性治療反応を導きやすいことはないと感じており、分析家が攻撃衝動の分析をやり過ぎないように、特に警告している。例えば、彼女は「すべての陰性治療反応が、分析家を打ち負かそうとする意図としてみなされるべきではない」と述べている。痛手を被っている内的対象をまず救うべきであるという義務感は、自分自身が救済されることを受け入れる自由に優先してかまわない。