うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

夜店と、「まんじりともせず」



土曜日の夜店に行った時の写真です!
沢山の人で賑っていたので、車椅子の方の介助をさせて頂いていたおっちゃんたちは、道路側でかき氷を待っていました!
 おっちゃんも童心にもどらせてもらいました(笑)晴君、おもちゃの方に行ったらだめだよ!ってばかり言っていたような(笑)
 皆さん楽しそうでした。


 最後と言いながら(笑)しつこくアップしてしまいました.....。
今日も色々あり(笑)偉そうに言われることがありました(笑)でもよく考えると、その方には余裕がないんだなと思うと怒りよりも、同情が生まれてしまいました。
 仕事が早かったり、本当に理解できていたら、たいていの事は簡単に出来るのになと思うこの頃でした(笑)

 余裕関連でアップします(笑)

Ⅻ 歌が生まれるー「まんじりともせず」
4 内から外への創造性
 それが到着駅の車内なら、レールのコトンコトンというリズムと共に寝たり起きたりを繰り返す。もちろんのこと日本では朝の車内放送は大きな声だし、ヨーロッパの夜行は朝の五時という早すぎる時間に平気で大都市に到着し、客車から追い出される。それで、半分寝ぼけたような状態で数時間も駅のベンチで過ごす事があるし、夜行列車では、確かに良く眠れない。寝つきも悪いし、何度も目が覚めて、朝早く起こされるので、結果的に「まんじり」という気分で長い時間を過ごすことになる。その日、早朝から社会適応を要する診察や学会発表などがあるなら、夜行列車で着くのは避けた方がいい。非生産的になるので、合理的なことが成し遂げられないだろう。
私は、若い時から、この睡眠と覚醒の間の状態に関心があった。好きだったと言っていい。実は、私自身も『さすらいびとの子守歌』(角川書店 一九七一)というエッセイ集を出したことがあり、その中の一文に次のような患者のエピソードを書いている。精神分析に出会う前の医学生時代で、二十四歳の頃の拙い文章だが、関心の古きを示すためにも引用したい。この心臓手術を受けた少女は、全身麻酔が解ける過程で意識が徐々に回復するとき、朦朧とした状態で無意識の状態との間で、さまざまに連続する夢を見たと報告している。

 彼女が無意識と意識のあいだで通り過ぎた夢の舞台とは菜の花の咲く高原だった。最初、麻酔からさめかけて初めて夢に見た景色は荒野にたった一本の菜の花が風に揺れているだけで、さらに空も灰色で寒々としたものだったけれど、その小さいけれど暖かさを感じさせる花びらのおかげで何か救われたような気がしたという。やがて彼女の夢は消えてゆき、病院の白い天井がぼんやりと目にとらえられてきて、私はまだこの世にいきているのかなとやっと思いついたとたん、再び天井の色がぼやけて菜の花畑が瞼の裏に浮かんできた。二度目に見た景色では、空の色も少し明るくなっていたので、かなり遠くまで見渡すことができたらしい。黄色い花びらはさっきよりも増えていたようだが、五十メートルむこうにはまだ枯草に覆われた荒野が続いているのがはっきり分かった。けれどそれに気づいたときには、意識は薄らぎ、さらには深い昏睡状態に落ちていた。
 つまり、意識と無意識の間には、奥行きのある広大な空間が広がっているというのである。そして、そこを通り過ぎる間に、私たちはそこを「まんじり」と眺めることができ、そこはその場限りではなく、一貫した現実性を有するものというのである。私は、一人、熟睡もしていないしはっきり覚醒もしていない状態で、その間の世界を、何度も通り過ぎる。そこがウィニコットの言うような「中間領域」で、状態としてはE・クリスが「自我のための退行regression in the service of ego」と表現したような状態なのであろう。しかし、そこが一般に夢見るような状態、朦朧とした状態だと客観的に捉えられているのに対して、私が言いたいのはそれが「一人旅」であり、非常に「まんじりともしないで」「まんじりと」覚醒していることである。
 普通の覚醒状態では外向きで社会的な適応を果たしているし、本当の夢見る状態では内的世界に没入している。しかし、その間の「まんじり」の状態では、〈私〉は正直で格好をつけず、素直に緊張し、怒り、悲しみ、驚きながら、比較的混じり気のない「素の自分」が一人でいる。朝、目覚めかけて、たまたま朝寝ができて、一人で長く布団の中にいてもいい時など、その空間をたっぷりと確保できる。それは、目覚めて二分法に分化する前の自分であり、「私は私」の状態だ。そこで、素の自分は考えているし、反芻する。悔しい時は残念がり、「畜生」と叫んだり、被害的になったりするし、スケベなことを考えて性的にも興奮する。世界中の誰と比べても、私が残酷でないなんてことはない。しかしそれでも、考えることはやめないで、どうするかを考える。何も喋らないまま、今度あいつに会ったらどうするか、今度、患者にあったらどうするか、考える。その時、新しい歌、新しいアイデア、新しい発想に出会うことがあるのだ。
 ポール・マッカートニーの名曲「イエスタデイ」も、朝方ここで生まれたらしい。伝わる話では、ある朝彼が目覚めると、頭のなかでメロディーが鳴っていた。〝こんな曲知らないぞ″と思いながら、ベッドのそばに置いてあるピアノでとりあえずメロディーを弾いてみたのがこの曲だったという。それは、朝の覚める時に発揮される創造性であり、内から外に向かって発揮されたのである。
 また、そこは、カフカの小説で主人公が毒虫になっているのに気づいたところで、朝の六時ころだった。ブルーストの『失われた時を求めて』では、主人公の朝寝の体験が書かれているのが、私にはそこに示された睡眠と覚醒の間が狭いように思われる。また、上田秋成の『雨月物語』の「蛇性の婬」では、主人公の明け方の夢から覚めない連続性こそが、その後の精神病体験の発端である。
 こうした朝寝時における創造、あるいは想像や「発狂」を、外から内に向かうはずの夜眠る時にやろうとすると、私はむしろ眠れなったりして、考えても考えてもろくなアイデアしか思いつかない。眠る時は、人の書いた本を読んだりして、本来母の歌う子守唄を聞く時間帯である。外のことは人に任せることにして、皆眠りの度に出かけるのだから、歌は外部からの見送りとして流れるべきなのだろう。
 しかし目覚めの旅では、内的世界に閉じ込められて内的なものに振り回されているのではない、「眠りという旅」の「車窓から」外を向いて、何かじっと、まじまじと、まんじりと見ている。
 しかし、外のことを気にして、性急で適応的であるわけでもない。内からも外からも比較的自立していて、何よりも仮面をつけずに正直に外や内の両方に向いていることがその特徴で、それこそが貴重なのである。もちろん、打ちひしがれているときもある。そこが、嵐で、悪夢のときもある。母性的な環境に包まれ、ここに自分が収まりよくて、安心しているときは、おおむね状態はいい。病気になると、悩みが多いと、そして忙しいと、ここに余裕がなくなる。前日からのことを引きずっている。もちろん、創造的な自由連想に耽る余裕もない。