うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

たくちゃんの誕生会と、【その後、図式が完全に強化されてしまえば、もはや拇指−口の行動に際し、覚醒や快楽的基調の変化は起こらなくなります。そしてそれは、“円滑な機能”として意識されないまま行われるようになるのです。】


 今日は、たくちゃんの誕生日なので、利恵さんと、どろんこ村さんに注文しておいた、シフォンケーキを頂きに行って来ました。
本当は、日中おられる方々と一緒に行きたかったのですが、お風呂が済んでいた方々は、もうこの時期、入浴後の外出は避けさせていただいいます。久しぶりの、どろんこ村さんのケーキ、美味しそうでしたが、自分は事務仕事の日だったので残念でした.....。
 利恵さんがケーキを見て、本当に楽しそうでした!





 夕食は、主任支援員さんが作ってくれました。いつも豪華ですが、今日はいつもより少しだけ豪華です!
美味しそうですね!自分は、夕方の入浴介助や、県から電話がかかってきた件を処理したりで、帰宅したら20時を回っていました(笑)それから夕食(笑)。太りそうです(笑)。
 写真も主任さんが送ってくれました!ありがとうございました!
 写真には出ていませんが、あっ君も、朝からケーキを楽しみにされていたので(全量摂取されました!)、良かったですね!



 医療的な支援が出来たらと、今年度から看護師さんに管理者になって頂いていますが、そんな相談の電話があり、管理者と主任が話し合っていました。そろそろ施設のカラーを明確にしていきたいと思っていたので、医療とアート・音楽がうたたねのカラーだと言えるように、皆さんのお力添えを頂きながら、頑張って行きたいと思っています、宜しくお願い致します!







 本は早めに出てまたファミマで読みました。 ファミマがもはや自分の書斎です(笑)。

 下記を読んで、覚醒や快楽的基調の変化が起こらなくするには、問題行動を完全にやりきるというのは無謀なので、うまく情動調律をしていき、徐々に覚醒レベルを下げる必要があるということと思われますが、タスクなどその方に合った、または好きなことに焦点を当てて、そちらに知覚運動系の意識を向けるようにしていけば良いのでしょうか?言うのは簡単ですが、ひとりひとり違うし、支援者もひとりひとり違うので、本当にその刹那刹那を大事にして観察させて頂くしかありませんね。それが臨床・現場ということですが。
『その後、図式が完全に強化されてしまえば、もはや拇指−口の行動に際し、覚醒や快楽的基調の変化は起こらなくなります。』





 〜生気情動という概念は、乳児がオーガナイゼーションを作る体験を想像するのに、また別の意味で役立つ可能性があります。たとえば知覚運動系の図式の強化、特に拇指−口図式は、かなり早期に起こるため、そのよい例と言えましょう。Sameroff(1984)の示唆に従えば、拇指−口図式の最初の強化は多分次のようになります。乳児は最初非常に強調性を欠いた、方向性に乏しい、ぎこちないやり方で手を口にもって行きます。この拇指−口というパターン全体は、内的に動機づけられた種−特異的な行動パターンで、それを完結し円滑に機能させるのが最終目的です。だんだんうまくできるようになるとはいえ、初めのうちは、拇指が口に次第に近づいてもまだ口には到達せず、そのパターンは不完全で、覚醒レベルは低下します。1つのパターンが達成され、吸うという“円滑な機能”(すでに強化された図式)がそれにとって代わるからです。覚醒度が低下するにつれ、円滑な機能の再開に基づく陽性の快楽的基調への相対的意向が起こります。この、拇指が−口を−見つけることは、機能が円滑になるまで、つまり、知覚−運動系の図式の同化/調節を通して適応のパターンが達成されるまで、何度も何度も繰り返されます。その後、図式が完全に強化されてしまえば、もはや拇指−口の行動に際し、覚醒や快楽的基調の変化は起こらなくなります。そしてそれは、“円滑な機能”として意識されないまま行われるようになるのです。しかし、まだ初期の試みで図式強化の最中には、手がかろうじて口への道を見つけつつある覚醒形態を体験し、そしてついに口が見つかり安心すると、覚醒度の低下と快楽的基調での移行を体験します。乳児がやっとの思いで成功するたびにこれが起こるのです。言い換えれば、強化のためのひとつひとつの試みは、腕、手が拇指、口からの知覚に関連した特徴的な生気情動を伴っており、それぞれが仕上げへと向かいます。 このような発達の産物(円滑に機能する拇指−口図式)は、ひとたび形作られると意識されないまま機能するようになります。しかし、その形成過程自体がとても顕著であり、乳児を専心させずにおきません。これが形成途上にあるオーガナイゼーションの体験です。この体験は、空腹感(緊張、覚醒)の高まり、食行為の完逐(覚醒度に減少、快楽的基調の移行)、自己や他者に関する感覚や知覚などといったもっと馴染み深い体験と、原則的には何ら異なるところはありません。しかし、拇指−口の例は、生理的ニードの状態に関わっているのでなく、知覚運動系の図式に関わっているという点で、またその動機が少し違うふうに概念化されているという点で、そして、私たちの目的のためにはこれが最も重要なのですが、身体のそれぞれ異なった部分や状況に関連させた、それぞれに異なった生気情動を起こすという点で違っています。