うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

新しい?茶筅と雑誌と、精神病と子どもの世話(ウィニコット)


 自分の受診後、時々いかせて頂く古道具屋さんで(見てるだけの日が多いですが、いつも丁寧な対応をして下さいます)古いが未使用の茶筅があったので(中々出ません)譲って頂きました。古いものですが、箱まであって1,500円でしたが、1,000円にまけてくれました!
 ひとつ前のもの(向かって左側)もこちらで譲っていただいた物(約一年半前)でそれまで出物がありませんでしたので、この状態で点てていました(笑)お茶屋さんで買っても、直ぐに折れてしまい、喉に刺さってから、材質の良い物だけ頂くようにしていますが、新しくて材質が良いものは高価なので手が出ません.....。
 ひょうたん島さんにはいつも助けて頂いています!


 いつも受診待ちでは、精神分析の本を読んでいるのですが、今日は電車で沢山読ませて頂いたので、久し振りに待合室にある雑誌を読ませて頂きました。
 患者さんが少なくて、直ぐに呼ばれ消化不良だったので、本屋さんで二冊買ってもらいました!
 たまには、雑誌も読まないといけませんね!沢山学べました!


以下、電車で読ませて頂いて、印象に残った箇所です。

第15章 精神病と子どもの世話
〜大人の健康とは幼児期、児童期のすべての段階に基礎づけられるということである。小児科医は、幼児の世話と栄養補給、幼児の依存、そして子どもの内的発達おける連続性と同様の連続性をもつ必要のある環境諸因子が徐々に成熟することに、いつも気を配っている。このような理由のため、小児科医は精神医学に多大の寄与を果たすことになる。
 身体的な側面ばかりに注目し、精神面を忘れる小児科医に対して、私はどうすることもできない。現在というのはそういう時期であるし、身体的側面に豊かな恩恵が与えられてきたことは、誰も否定はできないのである。〜

〜この理論は、他に比較してある種の精神病者たちに関しては、特によく当てはまる。これらの問題を専門に研究する人びとがきわめて明確に理解しているのは、(反応性の抑うつや気分の変化を示すという意味で)抑うつ的になれる能力が、離乳が意味をもってくる年代に達した子どもによって、健康な状態で獲得される、ということである。抑うつは、思いやり、憐み、罪などと連携しているが、 抑うつ的な気分においては無意識的な情動の比較的大きな部分が関わってくる。思いやりの気持ちや悲しみの気持ちを持つ能力、そして喪失に対しては時間が経つにつれて回復していくといった、組織化された仕方で反応するという能力は、健全な成長にとってきわめて重要な発達段階である。そしてこの能力は、注意深い離乳の取り扱いにより基礎づけられるのだが、ここでの離乳とは、大雑把に言って9〜18カ月の幼児の取り扱いという、非常に広い意味で用いている。本論では、この問題について、きわめて注意深く行われた研究に触れていることぐらいしかできない。その研究とは、精神病という術後がさまざまな種類のうつ病や、躁うつ型の障害を含む限りは、精神病の研究に確かに関連している。この点の理解は、フロイトの論文「悲哀とメランコリー」(1917)に始まり、その主題は他の人びと、特にAbraham(1924),Klein(1934),Rickman(1928)により発展されてきた。またクラインの理論を拡張し、ある種の被害妄想的な組織化の起源を扱ったものもある。〝情緒発達における抑うつポジション″の健康的な達成という概念(Klein)は、逆にいうなら、以前の健康な発達を前提としているのであり、私が本論で言及したいと思っているのは、最早期の、もっとも原初的な段階なのである。
 まさに離乳の背後に控えているのが、脱錯覚disillsionmentというより大きな主題である。離乳するということは、それ以前の授乳が成功していたということを意味し、脱錯覚は錯覚を得る機会がうまく提供されていたことを意味しているのである。