うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

戸を開ける、ひーひー王子と、『スティーブ・ジョブズも憧れたシャープ伝説のエンジニア』【しかしながら、この時期に固有な抑うつも、それ自体が精神病人格が拒否するものである。そして、それゆえ言語性思考の発達は攻撃を受け、抑うつが生じるときにはいつでも、その始まったばかりの要素群が投影同一化によって人格から放出される。】


 秋の気配がしてきたせいか?ひーひー王子が、早く散歩に連れて行けと玄関の戸を開けます(笑)
うるさくて、近所迷惑になりそうなので、早めに散歩に行っています....。

 今日は休みでしたが、来年度の件で理事さん達と話し合いました。色々と超えないといけないハードルがありますが、一つづつクリアー出来ていければよいと思っています。


 ネットサーフィンしていたら、下記に行きつきました。この記事だけでも、勉強になりました。下記に抜粋させて頂きます。


2016年06月27日
スティーブ・ジョブズも憧れたシャープ伝説のエンジニア
<情報工場 「読学」のススメ#8>『ロケット・ササキ』(大西康之 著)http://newswitch.jp/p/5134

 〜だが、佐々木さんの真の偉大さは、そのロケット並みの着想力や、電卓やその関連技術の開発だけにあったわけではないようだ。彼の生涯のモットーは「共創」。シャープ(当時は早川電機)に入社早々、佐々木さんは部下に対し次のように諭している。
「いいかい、君たち。分からなければ聞けばいい。持っていないなら借りればいい。逆に聞かれたら教えるべきだし、持っているものは与えるべきだ。人間、一人でできることなど高が知れている。技術の世界はみんなで共に創る『共創』が肝心だ」

この記事のファシリテーター ・富岡桂子
佐々木さんがサムスンに技術を提供したことの是非については様々な議論があります。どちらが正しかったかというのは、後付けになり一概には言うのは難しいものの、スティーブ・ジョブズも憧れるようなエンジニアは、技術開発だけでなく経営についても桁違いの考え方をしていたということでしょう。昨今、シャープのほかにも、東芝三菱自動車とサラリーマン社長が代表を務める大企業の失速ぶりが目立ちます。日本経済がシュリンクしている今だからこそ、佐々木さんのように業界や世界の産業を俯瞰できるスケールの大きな、そしてサラリーマンの頂点としての社長ではなくプロの経営者としての社長が必要だと痛切に感じます。





 早朝、100円をもらって(笑)近所のファミマで約一時間本を読みました。
下記は、その箇所です。非常に難しいですが、自分が理解できる範囲で第1部を読み終え、第2部に入りました。
 昨日の中井久夫先生の本のように、分かり易い本も大事ですが、筋トレのように、無理せず少しずつ力をつけて行きたいと日々努力していますが、いかんせん、元がもとなだけに(笑)中々、階段を上ることができません.......。自分は人の3倍頑張らないと何もできないので、何とか時間を見つけて頑張ります。
 ギターも毎日弾かないと全然弾けなくなるので、時間を見つけて、読書とギターは続けています。

 先日、愛知県の方から、事業報告書に間違いがあると、電話がかかってきました....。今年はもう訂正がないかと思っていましたが、ありました(笑)
小さな訂正なので、安心しました。明日、郵送します。

『精神病人格あるいは人格の精神病部分が抑圧の代わりに分割と投影同一化を用いていると私は暗に述べている。』
 本の中の記述だけでなく、自分はこうでもしないと、生きて行くのがつらい時があります......。

『私がしばしばそうであったように、あなたも私が一連の縮小版の劇風の提示、すなわち、赤ん坊の風呂や食事の準備、おしめの交換、性的誘惑などを眺めているようにおもえたかもしれない。しばしばそれらの提示はそうしたたくさんの場面からの断片の寄せ集めと言った方が正しいだろうし、そして、こうした印象によってこそ、表意運動活動ideomotor activity,すなわち、名付けられていない観念を表現する手段を私が眺めていると終局的には私は思うように至った。』
『もし、言語性思考がインプレッションを統合しはっきりと表現するものならば、また、かくして、内的現実と外界現実に気づくためには欠かせないならば、分析を通じて消長はあれど、それは破壊的分割と投影同一化にさらされると予想される。』 結局、本当に大事なことは、言葉では表現できないということでしょうか?言語ではなく、表意だからでしょうか?


『私は言語性思考の始まりが抑うつ態勢に属すると述べた。しかしながら、この時期に固有な抑うつも、それ自体が精神病人格が拒否するものである。そして、それゆえ言語性思考の発達は攻撃を受け、抑うつが生じるときにはいつでも、その始まったばかりの要素群が投影同一化によって人格から放出される。』
 躁的防衛からどうやって抑うつポジションに持って行くか?が目下の課題ですが、それも非精神病部分が多く残っている方にしか有効でないと、言われた気がしました。






精神病人格あるいは人格の精神病部分が抑圧の代わりに分割と投影同一化を用いていると私は暗に述べている。人格の非精神病部分が意識とその他の形の表現や行動との双方から心の中に起こるある種の流れを切り捨てる手段として抑圧に頼る時に、人格の精神病部分は、精神の中で抑圧を実行する装置そのものを自分自身から取り除こうとする。すなわち、無意識は夢の備品の世界によって置き換えられるようである。



私がしばしばそうであったように、あなたも私が一連の縮小版の劇風の提示、すなわち、赤ん坊の風呂や食事の準備、おしめの交換、性的誘惑などを眺めているようにおもえたかもしれない。しばしばそれらの提示はそうしたたくさんの場面からの断片の寄せ集めと言った方が正しいだろうし、そして、こうした印象によってこそ、表意運動活動ideomotor activity,すなわち、名付けられていない観念を表現する手段を私が眺めていると終局的には私は思うように至った。ここからたやすくそれがフロイトが快感原則の優越性の特徴として述べた運動活動の一種であると思いついた(Bion 1954)。というのは、私が精神病現象を眺める限りにおいては、患者は外界現実への気づきに応じては活動できなかった。患者は一種の運動放散をみせていて、それがフロイトが言ったように快感原則の優位性のもとで「心的装置での刺激の増大を軽減するのに役立ち、この作業を成し遂げるのに身体の内部に神経興奮を伝播する(ふるまいによる感情の表現)」。患者が「今日は何もしたくない」と言った時、私にまた生じてきたのはこの印象だった。その言葉は彼が解釈のための素材をもたらす可能性や同じく私が解釈を生み出す可能性を持っていた。




もし、言語性思考がインプレッションを統合しはっきりと表現するものならば、また、かくして、内的現実と外界現実に気づくためには欠かせないならば、分析を通じて消長はあれど、それは破壊的分割と投影同一化にさらされると予想される。私は言語性思考の始まりが抑うつ態勢に属すると述べた。しかしながら、この時期に固有な抑うつも、それ自体が精神病人格が拒否するものである。そして、それゆえ言語性思考の発達は攻撃を受け、抑うつが生じるときにはいつでも、その始まったばかりの要素群が投影同一化によって人格から放出される。スィーガル(1957)は1955年の国際会議に向けた論文の中で精神が抑うつを取り扱うその方法について述べている。その描写が私がここで言語性思考の発達の議論の中に含めている抑うつ態勢のそれゆえ部分にきわめて適切なので私は言及している。しかし、私はもっと早期の議論すなわち妄想-分裂態勢でも、発達するべき思考過程は実際には破壊されていると述べた。この段階でも言語性思考が存在することには疑問の余地はないが、しかし、前言語的な原初的思考の萌芽に過ぎない。この早期の段階での過剰な投影同一化は、感覚インプレッションの円滑なとり入れと同化を防げ、続いて、前言語性思考の萌芽が進展できるための堅固な基礎を人格に与えない。さらに、思考それ自体の首尾一貫性に寄与する因子も同様に攻撃を受けるので、その結果、思考の要素、いわば思考が作り上げられるユニットは接合できなくなる。それゆえ、言語性思考の成長は、私が抑うつ態勢において典型的であるとして述べた連続的な攻撃と、それに先立つ思考がどんな種類であれそれらに対しての長い歴史のある攻撃という事実との両者によって危機にさらされている。