Kさんの刺繍が、再開しましたが、日中に中々入れない職員が教えてくれているので、また少し間隔があいてしまいます。少し間隔が空いた方が、新鮮かもしれませんね。
どうなっていくかが楽しみです!
今日は昼食後、海に行きました。
こんな所に来ると、一番喜ぶのが親分で、勝手に物を探しに行ってしまいました(笑)
Kさんの作品に使える物を探したとの事でした。
ももちゃんは、みんなに見せるって貝殻や石を沢山探していました。
晴くんは、うたたねのサンダルで来ていたので(そういえばホタルの時もそうでした(笑))歩きにくそうでしたが、おっちゃんといつもの如く、漫才をしながら歩きました。
自然の風が一番気持ちいいですね!
ショートの利用者さんが、「中井久夫の臨床作法」の表紙を破ってしまっていたので(笑)セロテープで直し終って、パラパラとめくっていたら、下記の文章が、目に入りました。
何箇所かアップさせて頂きましたが、続きすぎるのもどうかなと思い、遠慮していましたが、間隔が空いたので、アップさせて頂きます。
この論文にも、非常に勉強になる箇所があります。
分裂病者における「焦慮」と「余裕」 中井久夫
Ⅱ 二つのことば
ここで、著者の経験によれば、分裂病者をおとしめず恥ずかしめず、その他要するに病者の安全保障感を掘りくずされずに病者からも語られ、治療者も口にしうる少なくとも二つのことばが存在する。それは「あせり」(焦慮)と「ゆとり」(余裕)である。(「ゆとり」は、その欠如感において語られることも含める)。これらのことばは、発病過程の初期から寛解過程の晩期までを通じて語られうる点においてきわめて他を抽んでたものである。
これらのことばは、初診時にも聞かれて、治療への合意の契機になる。高度の精神運動性興奮を示している病者への語りかけのいとぐちともなりうる。再発の反復に疲れている病者の気持ちを汲む時の鍵言葉の一つでもある。長く病棟生活を送っている病者への接近のために活用性の高いことばでもある。そして一般に、治療目標の設定を可能にするものである。〜
〜病者がなによりもまず自分が陥って抜け出せず、言動を左右させられているのは「あせり」によるものであり、灼けつくほどに求めて得られないものが「ゆとり」である、とすれば、これらのことばは病者も治療者も、珠玉のごときものとして扱うのが当然であるからである(むろん、分裂病者であろうとなかろうと、「自分には生まれてからゆとりがなかった」という大秘密をアンケートに記さないであろう)。ところで、この秘密は、治療者に洩らすことによって不思議に不安を起こさない。また、一般に他者に見透かされてしまう秘密とは病者は感じていないようである。しかし、治療者は、これらのことばを常套句として摩耗させてしまわないように留意する必要があるだろう。重大な秘密というか、自己についての内実をたずねる、という、ためらいを交えた慎みを以て問うことが希ましいであろう。しばしば、普段関接的方法、たとえば朝食の味を問い、季節感をたずねることによって病者の「余裕」を測り、「待てない」点をみることによって「焦慮」をみる方が良いであろう。
Ⅲ「焦慮」「余裕」認知の文化社会的背景
〜あるいは、われわれ自体が、「近代化」しつつある社会(より正確には「近代」に強制加入されつつある社会かもしれない)に生きていることが、一つの盲点であるのかもしれない。私はすでに「あせっている人間」が病者とみなされる社会のありうることを述べた。一般に近代化しつつある社会、特に多少遅れて近代化しつつある社会は焦慮を病的とみるどころか、いかに巧みに「あせり」あるいは他を「あせらす」かを重視さえする傾向がある。わが国の医師も、多少とも「あせりつつ」いくつかの関門を越えて医師となった人が多いだろう。われわれは病者の「あせり」について十分眼を開いていないかも知れないことを念頭に置いた方がよいのではあるまいか。
すくなくとも、われわれの生きている社会の現状は、たとえば成人への通過儀礼において端的な余裕と落書きがテストされる多くの社会と対照的である。わが国にも、むしろ、「茶の湯」に代表されるような「余裕の文化」が存在したが、それは急速に生命更新力を失いつつある文化であるようにみえる。
これは必ずしも西欧的近代化のみを契機としないかもしれない。豊臣秀吉によって強制的に小家族化されて以来、江戸時代の初期すでに、商家の家訓にみるごとく、「勉めざれば三代にして滅ぶ」という、家計の小規模性と浮沈の急速性にもとづく家族的危機感が出現し、江戸時代の後半に至って「度量句すればとにかくその家、その村だけは一、二代のうちの立て直しが可能である」という認識が次第に一般化して明治に受け継がれる。貨幣経済の滲透を背景に、勤勉と工夫の通俗倫理は江戸時代を通じて「余裕の文化」を掘りくずして行ったとみられるのである。
さらに精神医学の歴史についてみれば、ことわが国に限らないであろう。病者に対するいかなる接近法を治療とみなすかという一般的合意の如何を中心とする下位文化を仮に「治療文化」と呼ぶならば、精神病者に関しては、十七世紀に大きな転換がみられる。この時代のカルヴィニスト支配下のオランダにおいて、魔女狩りが他の西欧諸国よりもほぼ1世紀早く終息し、これに代わって精神病者を労働改造する施設が設立されている。これは治療文化の大きな転換であり、われわれもこの治療文化の系譜上にある。
このようにみれば、治療者も、家族もそして病者自身でさえ、病者の「あせり」については担当程度の文化的制約の下にあるのが当然かもしれない。しばしば、治療者が、病者の「あせり」をつのらせている家族的その他の要因を変化させることが、大きな治療的転回を生むことを経験する。