うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

染付の絵と、第13章 逆転移のなかの憎しみ


 親分が少し本気を出して、来月のカーグの画題を考えていました!
良い感じですね!
一応、美大出なので、絵は上手いのですが、創造性がないと言うのか?欲がないと言うのか?分かりませんが(笑)世界的な活躍をしておられる師匠についていたのに、それを利用しようともせず(笑)のほほんと今まで生きて来ました(笑)もたったいないですね.....。

 前置きはそれぐらいにして、6月のカーグでは染付を描くようです。
しかし、家には染付のものがあまりありません......。皆さんに声掛けさせて頂いて、お借りしようと思っていますので、宜しくお願い致します!


 ウィニコットも大分読ませて頂きましたが、この第13章は、自分達にも当てはまったり、ヒントになる箇所が沢山あったので、何回かに分けてアップさせて頂こうと思っています。
 自分の答えが欲しくて、利用者さんと同一化してしまっている福祉職も度々見かけます....。

 「救済者」逆転移⇔二者水準
 恐らくこれも、親の治療をしようとする子供の性向に由来しています。特に医療福祉従事者となることを選んだ人には、そういう気持ちが強いのではないでしょうか? 

そのような気持ち自体は、人と医療的福祉的に関わる原動力であり、決して不要なものではありません。しかし、その気持ちが前面に出過ぎると、その分相手の真実が見えなくなり、最悪の場合、ただの自己満足になってしまいかねません。 

 サリヴァンウィニコットのように現場では自分の事より利用者さんのことを思い、冷静で注意深くありたいと思う毎日です。




『小児医学から精神分析へ』
第13章 逆転移のなかの憎しみ
〜一般精神科医を助けるために、精神分析家は、病的な個体をめぐる原初的段階の情緒的発達についてだけではなく、精神科医がその仕事を行う中で担っているいる情緒的な重荷の性質についても学ばなくてはならない。われわれが分析家として逆転移と呼ぶものが、精神科医にも理解される必要がある。どんなに精神科医が自分の患者たちを愛しているとしても、患者たちを憎んだり恐れたりすることは避けられないし、このことが分かっていればいるほど、憎しみや恐れが患者への働きかけを左右する動機となることは少なくなるのである。

 逆転移現象は以下のように分類することができるであろう。
1,逆転移感情における異常、そして一組の関係や同一化として分析家の中で抑圧されているもの。これに対するコメントは、その分析家はもっと分析される必要があるということであり、一般の精神療法家よりも精神分析家の方がこれが問題になることが少ない、とわれわれは信じている。

2,分析家の個人的な体験と発達とに属する同一化と諸傾向。これは、分析的な仕事をするための積極的な状況を用意し、他の分析家の仕事とは質的な違いをもたらす。

3,これらの2点から、私は真に客観的な逆転移を区別する。あるいは、それが難しければ、患者の実際の人格と行動に対する分析家の愛と憎しみのことであり、それは客観的な観察に基づいているのである。

 もし精神病者や反社会的な人たちを分析しなければならないなら、分析家はその逆転移を徹底的に意識することができて、そのために患者に対する客観的な反応を整理し、学ぶことができねばならない、ということを私は提案する。それは憎しみを含むことになるだろう。逆転移現象は、分析においてこれからも時に重要な問題になるだろう。
 患者は彼自身が感じることができるものを、かろうじて分析家の中にまず見出すだけなのである、ということを私は示唆したい。動機について言うなら、強迫的な患者は、分析家を、無益で強迫的な仕事をする人として考えやすいであろう。深刻な気分変動以外の形では抑うつ的な状態でいることができず、そしてその情緒発達において抑うつポジションがしっかりと獲得されず、深いところでの罪、あるいは思いやりや責任の感覚を持つことができない、というような軽躁的な患者は、自分自身の(分析家の)罪の感情について償いをしようとする分析家側の試みとして、分析家の仕事を見なすことができない。神経症的な患者は、分析家が患者に対してアンビバレントであると考え、分析家が愛と憎しみの分裂を見せることを期待する傾向がある。この場合患者は、他の誰かが分析家の憎しみを受けているので、運良く愛を得ているのだというわけである。ということは、もし精神病的な患者が〝同時発生的な愛と憎しみ″の感情状態にいるとすれば、その患者は、同時発生的な愛と憎しみの関係という、同じように粗野で危険な状態でいる能力を分析家にもかろうじて持つだけなのだという深い確信を体験する、ということにならないだろうか?そこで分析家が愛を示すなら、同時にその分析家はきっと患者を殺すことになるだろう。
  この愛と憎しみの同時発生は、精神病者の分析では特徴的に繰り返されるもので、容易に分析家の許容量を超えてしまうことのある取り扱い上の問題を引き起こす。私が注目しているこの愛と憎しみの同時発生は、原初的な愛の衝動を複雑にする攻撃的な構成要素とは異なるものであり、患者の人生で、最初に対象を発見する本能衝動が生じた時に環境の失敗environmental failureがあったことを意味する。〜