うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

図書券で本購入と、教会の言葉?と、アルゼンチンの精神分析と、『フロイト以後の逆転移の発展』


 結局、地元に帰ってきてから、図書券で本(古本)を購入しました。全部で600円!500円分の図書券に100円足しましたので、あと3,000円分の図書券があります。
 来年の手帳も使えるのかな?本屋さんに聞いてみます。


 今日はキリスト系の施設に行っていたので、壁に張っていた言葉にしばし、見入っていました。
 肉体は弱い.....。自分は頭も......って思ってしまいました(笑)

 淡々と日常しなければいけないことをしていきたいと思っていますが、色々ある毎日です(笑)
 それでも、ウィニコットが言う様に、中傷などにめげずに生き残らねば!ですね。

 電車の中で『フロイトを読む』を大分読み進めました。
ドーラ・鼠男・少年ハンス・W.イェンゼン著「クラディーヴァ」における妄想と夢(順番がいい加減w)で、精神分析の発見の章は、後、『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の想い出』だけになりました。
 明日は、今日購入した本を時間が許せば読ませていただこうと思っています。夕食時にパラパラと見てみたら、興味深い内容が沢山ありました。
 取り敢えずのアップは、連続した箇所です。
ブエノス・アイレスの精神分析家の名前が出て来ていましたが、ウォールストリートジャーナルによれば、アルゼンチンの人々は経済破綻の不況Depressionのなかで、内的な世界とだけ関わろうとして精神分析を受けに来るようになったことだろう。アルゼンチンの全人口の32パーセントの人が生涯で一度は分析を受け、その数は年々増加している。とのことで、10人に3人が精神分析を受けている?凄いですね!それだけ精神分析家が居るってことですね!

こんな記事も⇒アルゼンチンは、おそらく人口比率でセラピスト、特に精神分析家がもっとも多い国なのである。10万人に145人のセラピストがいる(二番目がデンマーク85人、米国は9位で31人)。しかもアルゼンチンではそのほとんどが精神分析の専門家で、ブエノスアイレスにはフロイト村というそれらセラピストが暮らす地域すらある(Villa Freud)。またその名前の精神分析的タンゴという、二つを比較した映像まで存在している。

 こちらのサイトに興味深い記事が出ています⇒http://winnicott.cocolog-nifty.com/psychoanalysis3/2016/05/post-54c5.html



フロイト以後の逆転移の発展
ポーラ・ハイマンとハインリッヒ・ラッカー:新しい見地
1950年代以降、逆転移の概念は広がり、患者と分析者の間のコミュニケーションの理解において、今日考えられているように必須の道具となった。分析者の逆転移緒反応が患者の経験していることについての貴重な鍵を与えることが強調されるようになったのは、まず第一にロンドンのポーラ・ハイマンPaula Heimannとブエノスアイレスのハインリッヒ・ラッカーHeinrich Rackerのおかげである。この新しい見地の出発点は、疑いなく1946年のクラインによる投影同一化の記述だったことは明確にしておこう。後にセッション中の逆転移の分析でなされたようにこの概念の使用法を、たとえクライン自身は採用していなかったにしても。
 1950年にポーラ・ハイマンは、[逆転移について』という論文で、患者に対する分析者の情動的反応の重要性に注意を喚起し、それが患者の無意識の内部を探求するための本物の手段になりうることを示した。彼女は分析状況における逆転移のこうした利用を、分析者自身の神経症に結びついたその無意識的反応と区別した。同時期にラッカーは、分析者の経験する逆転移感情が、患者に生じていることについての価値ある指標となりうることを示した。ラッカーは逆転移の2つの型を区別した。1つは共感の土台にあり、分析者が意識的に患者のパーソナリティーのある側面と同一化する「一致型concordant 逆転移」、もう1つは分析者が無意識に自分の内的対象を患者に投影して、患者に向かう転移を形成する「補足型逆転移」である(1953)。この頃、多少なりともクライン派のアプローチをとる何人かの精神分析者たちも、逆転移とその重要性を研究していた。その中にはウィニコットWinncott (1947)やリトルLittle (1951)がいたことを指摘しよう。最後に、ネローNeyaut(1974)が逆転移の観念を拡張して、分析者が感じることを越えて、その個人的な精神分析文献やその人固有のメタ心理学も含めたことには触れておく価値がある。


「正常な」逆転移と投影同一化:ウィルフレッド・R・ビオン
1950年代の終わり頃ビオンは、彼が逆転移の正常な一形式を明らかにしつつ、病理的な投影同一化と正常な投影同一化の間に導入した区別から始めて、逆転移の観念の拡張に寄与することになる(1959)。このような寄与によって、患者と分析者の間でのやりとりを新しい概念から、不安に耐えてそれを変形させる、容量に応じた能力のように、特に「容器-内容の関係」に関して検討できるようになった。以後、転移と逆転移は分離不能な一体のものとみなされ、一つの「全体状況」(B.Joseph ,1985)として考察できるようになっている。

投影同一化:レオン・グリンバー
ラッカーによる区別とビオンの貢献を拠りどころとして、レオン・グリンバーグLeon Grinberg(1962)は、「投影逆同一化」を叙述して、独自の参与をする。それは患者の投影同一化に対して、分析者が自分の中に投影されたものに無意識的に同一化する、特定の無意識的反応である。グリンバーグによると、投影逆同一化は、分析者の内的葛藤とは独立に現れる。この点がラッカーの補足型逆転移との相違点である。分析者は過剰な投影同一化に従う時、自分自身の空想に関わっていると信じて、患者の強力な投影に、「受動的に」屈服することがありうる。だがもしも分析者が、そのように自分に投影された情動を包容して、患者に属するものとして区別し認識するに至るならば、投影逆同一化は、被分析者の空想的素材と非常に深い水準で接触するための、非常に役に立つ技法になりうる。20世紀後半に逆転移が発展してきた仕方は、クライン派やポスト・クライン派の内部においてばかりではなく、国際精神分析協会とつながりのあるさまざまな学派に属する大多数の分析者たちによっても実践されている、分析技法に影響を与えてきた。しかしながら、日常の臨床な中で逆転移がどう使われているかに関しては、各精神分析者の好みに応じて、立場は相当異なる。


逆転移に関する両極端の立場
 私はこの短い概観を、逆転移概念が2つの極端な立場を臨床実践する者の間に引き起こしたことに触れないで終えるわけにはいかないだろう。
 第1の立場は、「逆転移の自己開示」と呼ばれる技法に関わる。それは、分析者の経験と患者の経験の差異を患者に示すために、分析者が自分自身の体験を患者に向けて明かす(あるいは漏らす・暴く)ことである。この技法は、クーパーCooper(1998)が強調するように良い方向に活用しうるが、逆転移を明かしたものを患者に返す前に分析者が十分に反芻処理していなかった場合、悪い方向にも作用しうる。かなりの数の北アメリカの精神分析者たちは、「自己開示」のこうした使用法を実際の技法としているが、このことは、患者と分析者のあいだのやりとりについて、精神分析的関係において逆転移の観念が古典的に位置づけられるものとは着想が異なることを意味している。
 これに対立するものとして、逆転移に関して全く対極的な立場がある。それは、逆転移を考慮に入れることを一切拒否する、ラカンの見解に従うほとんどの分析者に採用されている立場である。事実ラカンにとって、逆転移は単に治療への一つの抵抗であるばかりでなく、分析者の究極的な抵抗そのものである。
J-A.ミレールMillerが、D.ヴィドロシェとの論争の中で指摘したように、ここには、現代ラカン派の精神分析者と国際精神分析協会に属する精神分析者との間での、主要な理論的・技法的相違のひとつがある。ミレールは明言している。「ラカン派とその他を分かつものを探すならば、次の事が見出される。逆転移の操作はラカン派の分析実践のなかには不在であり、主題化されていない。このことはラカン派による短時間セッションの実践および無意識についてのラカンの教義と首尾一貫している」(Miller 2003:14)