うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

事務仕事と、今日の生け花(笑)と、患者―治療者間のパラタクシス的歪曲


 昨日今日と(今日はシフト上では休みでしたが)事務仕事に追われ頭が腐ってしまい、得意の3個103円のサークルKの大福餅でお薄を頂きました。まだまだありますが、予定以上の仕事ができたので、ちょっと休憩.....。モニターには4月の常勤換算。4月の常勤換算を出さないと、加算の更新ができません。集団指導で常勤換算表は28日(4週)で行う様にとのお達しが出ました!前任者の方は月の日を継ぎ足しても良いとの事でしたが、担当者が変わると、見解も変わるのは仕方がないですね.......。一人でも160時間を超したら、その時間数が分母になるとも話されていました......。面倒なので28日で常勤換算を上げました。(笑)
 世間では色々な事が起きていて、制度等が厳しくなっていくのは良い事かも知れませんが、小さいことでやれ虐待だとかになると、事業者も難しい方の受け入れはしたくても、上が許さなくなりそうで嫌な感じがしています。虐待を容認しているわけではございません。

 親分には不評なお茶碗ですが、自分はとっても気に入っています。初期の長次郎(変な言い方)の時代の大きさで、手の中にすっぽり入るので、一体感が何とも言えません。千円、二千円では上等だと思うのですが、牡蠣みたいな色・柄で生臭い(笑)と言われています(笑)
そんなら予算を出してほしいですね(笑)無理でしょうけど......。
 明治時代の瀬戸だと、店の主人が言っていましたがよくわかりません(笑)関西だと陶器の事を瀬戸物と言いますが、もう少し西に行くと、唐津と呼ぶ地域もあったとのこと何かで読みましたが、記憶が定かではありません(笑)


 昨日、親分が持ってきた花を活けてみました(笑)額縁は裏に落ちていました(笑)
相変わらずセンスがありませんが、ギターと同じで諦めずに続けていればいつかは上手になれます?(笑)無理っぽそう.......。
 水仙の葉っぱってこんなに軟弱だったっけ?

 



 周囲から病気扱いされてきていますが(笑)一分でも時間があれば、本を開かせて頂いています。少し前のとダブりますが、同じ人が同じテーマで書いているので仕方ないですね。サリヴァンの重要ワードのひとつなので、自分の復習も兼ねてアップさせて頂きました。
 サリヴァン入門の方が分かり易い言葉でしたが......。


サリヴァン治療技法入門(A・H・チャップマン著・作田勉 監訳)
第七章 治療と日常生活におけるパラタクシス的歪曲
A 患者―治療者間のパラタクシス的歪曲
1,パラタクシス的障害の原理
精神療法でのパラタクシス的障害の役割を考える前に、パラタクシス的障害は多種多様の対人関係で起こるものであるから、その大体の特徴について概略する必要がある。
パラタクシス的歪曲は、ある人が別の人を、あたかも誰か他の人(一般に過去の対人生活で親密であった人)のように扱う場合をいう。 パラタクシス的歪曲の性質は次の例で明らかにする。
ある少女が、小児期と青春期を通して冷たい支配的な母親に育てられ、その過酷な支配に対して慢性的に闘っている。後に大学でも職場でも女性の監督者や権威的な女性との接触が長く続くと、しばしば彼女らに対し葛藤的になる自分を意識するようになる。年輩の女性から軽い指示を受けても、抵抗感や苛立ちを憶えるのである。この場合のパラタクシス的歪曲は、この少女があらゆる年輩の支配的な女性をあたかも少女の母親のように受けとめていることにある。少女も、少女が衝突してしまう女性たちも、少女の行動の決定因子を理解できない。〜
サリヴァンのパラタクシス的歪曲の概念は、フロイトの転移の概念に、単に新しい言葉をつけただけだという異議を唱える人が時々いる。そういう人は、サリヴァンを注意深く読んでおらず、パラタクシス的歪曲について充分に理解していないのである。〜
〜第一に、フロイトは転移を、特に精神療法における、以前の外傷体験の感情的再体験と考えたが、サリヴァンは治療上でもそれ以外でも、誰も何も再体験することはないと考えた。パラタクシス的歪曲では、体験を再現するのではなく、過去長年にわたって徐々に発達してきた感情および行動のパターンを単に繰り返すにすぎないのである。
第二に、フロイトは、治療が長期にわたると、患者の人生の最初の七年間に親密であった人(ほとんど例外なく両親の一人である)に持った感情を常に治療者にも向けてくると考えた。長期間にわたっての治療者との対人関係で、この体験を再体験することにより、患者は昔の対人関係に由来する不健康な結果から解放されると考えられている。他方、サリヴァンはそのようなことは起こらないと考える。患者は、以前に培った生活パターンを、ただ治療者との人間関係に持ち込むにすぎない。たとえば誰にでも愛想のよい人は、治療者にもそのようにふるまい、対人関係で攻撃的である人は治療者に対しても攻撃的になりやすい。各個人は治療室で新たな人格を発達させるわけではない。治療者との対人関係において、患者がどのように感じ行動するかを調べるのは、しばしば有用な手段だからである。なぜなら、患者―治療者関係は、一般に、直接的な、即座の、詳しい検討ができる唯一の手段だからである。これは、患者が治療室で過ごす一週間に数時間または一ヵ月間に何かを再体験するということとは大分異なったことである。
第三に、フロイトは、患者―治療者関係の細部にわたる長期の分析(転移分析)は、精神療法の目標が表面的で限定されたものでない限り、常に精神療法において必要であると述べている。フロイト精神分析の過程では、半分以上の時間を転移分析に用いることがしばしばある。フロイト精神分析の過程が、正しく彼の原理に適合しているかどうかを決定する三つの基準の一つがこの転移分析であるとしている(他の二つは、幼児性欲と無意識の心の概念を当てている)。これに対しサリヴァンは、精神療法での患者―治療者間のパラタクシス的歪曲の検索にはもっとずっと柔軟である。ある特定の症例において、検索は重要でないこともある。患者―治療者菅家におけるパラタクシス的現象を扱うことなく精神療法によって多くの患者が良くなっていく。治療上、パラタクシス的歪曲が明らかでそれを有効に利用できるならば、治療者はその歪曲を利用するが、歪曲の検索の必要のない症例も多い。〜