うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

うたたね大晦日の夕食と、備品購入と、仕えるということ


 うたたね今年最後の夕食は、調理師免許を持っている世話人さんが豪華にしてくれました!

 年越しそばも、もう食べました!
お腹がいっぱいになり、もう動けません(笑)




 神戸館さんから頂いたご寄付で、車椅子とレイコップを購入させて頂き

 ショートさんが使用される介護ベッドにまり子さんが、レイコップしてくれました!
 これで来年からも、気持ちよく使えますね!
沢山頂いたので、皆さんの希望をお聞きしながら、購入していきたいと思って居ます。



 先日名古屋に行った時に、アレクサンダーテクニークの会場で販売していた本ですが、購入しテクニークを受ける直前まで読ませて頂いていました。

山上の変貌と子どもの治療の物語《11》
だれでも一ばん先になろうと思うならば、一番あとになり、みんなに仕える者とならねばならない(マルコによる福音書九章三十五節)


 仕えるという言葉の意味を考えさせられましたので、色々調べましたが
こちらのサイト・牧師の書斎(北海道砂川市にある空知太栄光キリスト教会の牧師 銘形秀則)http://meigata-bokushin.secret.jp/が一番分かり易かったので、貼らせて頂きます。
 障がいをお持ちの方々の支援にも通じる様に思われましたが、宗教を押し付ける気は毛頭ありませんので、悪しからず。


(1) ディアコニア (διακονια) 発端とその意味
• 上記の成句(マルコ10章45節)で使われている「仕える」は、ギリシャ語ではディアコニアである。主イエスはこのことばを自らの生涯の目的を表わす言葉として用いておられる。また同時に、このことばは主イエスに従う者のライフスタイルを表わすことばでもある。
• デイアコニアは聖書の隣人愛の根源にある奉仕概念であり、またキリスト教社会福祉の原点でもある。自由意志を尊重するボランティア精神のルーツもこのことばから由来する。
• 「ディアコニア」の本来の意味は「給仕をする」「食卓に仕える」で、それは奴隷が全く自分の意志を殺して、ただひたすら主人のために仕える無私の給仕の心を表わす言葉である。ルカ22章27節では、キリストはご自身を「給仕する者」になぞらえている。
他にも「仕える」(奉仕)を意味するギリシャは数種類あるが、(注) 主イエスがここでなぜあえて魅力的でないこのことばを選ばれたのか。不思議なことに、ギリシャ語訳旧約聖書LXXには、このことばは全く使われていないのである。


①ディアコニアは第一に、奴隷の給仕の行為を意味するように、徹頭徹尾、他者の幸福を願い他者に仕える姿勢を表わす。ディアコニア憲章と呼ばれるマタイ25章32節以下には、飢えている人に食べさせ、渇いている人に飲ませ、裸の人に着せ、孤独の人を見舞う等の行為の総称をディアコニアと呼んでいる。ここには、何が本当に必要かを洞察する愛の感受性と具体的行為が要求されている。
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②第二に、苦しんでいる人に仕えることは、「わたし(イエス)にしてくれたことである」という主イエスのみことばに心をとめたい。「死にゆく人々」に仕えているマザーテレサは「愛してもらえない人、飢え、裸で家のない人のなかにキリストはおられます」と言っている。ディアコニアの対象は、苦しんでいる人であり、同時にイエス・キリストである。主イエスに仕える心で困窮にある隣人に仕える時、ともすれば、私たちの心に頭をもたげる差別の心、感謝や報いを期待する心から自由にされ、心から相手を尊重する気持ちがわきあがってくるのではないだろうか。________________________________________
③第三に、ディアコニアは私たちに与えられている様々な賜物―物質、知識、技術、愛の心、生命・・を人々のために役立てることである(ペテロ第一、4章10節)。私たちは神より与えられている理性、手足、心を用いて、より豊かな感受性を、技術を養わなければならない。そして一生をささげる心も。主イエスは「仕えるために来た」と言われ、続いて「多くのあがないとして(身代金として)自分のいのちをささげるために来た」と言われ、事実、ご自分のいのちを、私たちの罪と死のあがないのためにささげ尽してくださった。真の意味で、主イエスのみがディアコノス(仕える者)であられる。
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④第四に、このようなディアコニアをいったい私たちは生きることができるのであろうか、という問いである。主イエスが高熱で苦しむペテロのしゅうとめをいやされた時、婦人は「起き上がってイエスをもてなした(ディアコネオー)。」。ディアコニアは、イエスによって受け入れられ、赦され、愛されている喜びからあふれ出る感謝の行為なのである。「神はそのひとり子を世につかわし、彼によって私たちが生きるようにして下さった。・・・ここに愛がある。神がこのように私たちを愛して下さったのであるから、私たちも互いに愛し合うべきである。・」(Ⅰヨハネ4章9〜11節)


※(門脇聖子著『ディアコニア その思想と実践』―愛の働きの源流―、キリスト新聞社、1997年。14〜15頁参照)

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 今年も後わずかとなりました!
来年も、利用者さんとその周囲の方々の上に、いつも平安と祝福がありますように!