うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

施設は人なりと、第十章 臨床単位は治療における引照枠の一つである(サリヴァン)と、農民美術と神戸館年末チャリティーの取材


 今日はシフトでは休みでしたが、受診後、利用者さんが入院している病院に資料を持って行ったり、夕方の送迎を手伝わせて頂いたりした帰りに、すろーじゃむに寄って、ホウレンソウとチンゲン菜を収穫して、咲き始めたジャンボ?椿を一輪貰って来ました。
 花がデカすぎて、自分の腕では中々絵になりませんでした(笑)

 病院の看護師さんとの話を今日の夜勤者に報告していると、その方がいかに利用者さん達を思って支援してくれているのかが伝わって来たので、連日のブログ更新になりました。
 その方は、難しい方々の支援も厭わずにしてくれ、最初は拒否があっても我慢強く支援をし、辛いことを乗り越えて、最終的にはきちんと支援が出来る様になっています。
 障がいが有ろうがなかろうが、同じ人間だし、資格があろうがなかろうが、心のある人はあるし、ない人はないと、今日は最終的にそう話してくれました。
 当たり前の事ですが、それが一番難しい所です。
もう一つ施設を作ったらと、良く言われますが、良い職員があっての施設なので、そうやすやすとは作れません。

 いつもは利用者さん達から元気を頂きますが、今日は職員から元気を頂きました!


自分の受診は電車で行ったので、車中と受診待ちの時間でサリヴァンを読ませて頂きました。

第十章 臨床単位は治療における引照枠の一つである    精神病における〈診断〉対〈予後判定〉
〜今話した奇怪千万なことには、少し解説が必要であろう。まず、精神科医といえども自分たちの〈定式化機械〉なるものを通って出てくるものしか知らないわけではなく、はるかに沢山の事が分かってはいるのだ。彼らは、〈ふつうは意識的思考のデーターとならないために定式化できないデーター〉の中から一部だけを摘み上げる。
また第二に(これはけしからぬ面だ)精神科医は、自分がその眼で観察したと思い込んでいる症状なりパターンなりのほんとうの意味について、すごく強烈な偏見を産みだしている。いったん彼らがそのレッテルを貼り着けてしまうと職業的面子がかかってくる。彼らは面子を守り為に闘い、時にはその悪い影響が患者に及んで、患者は目に見えぬほど少しずつ次第にレッテルに合う方向に動かされていく。偏見のこわさは、精神科医が知らず知らずのうちに〈偏見によって重要だとされているもの〉を[まず]探すようになり、この〈偏見による〉診断を確定する上での価値がきわめて高い症状が出てくるのを待ち呆けて、患者に関する、まことに重要で有用なデーターのほうは実にあっさりと見すごしてしまうところにある。したがって、かなり強い診断的偏見をもってしまうと、その正味の結果は、実に重要な情報をごっそり見逃すことになりかねない。そして見逃がされたものはいつまでもそのままになってしまうことがありうる。精神科医が診断におのれの面子を賭けるようになると、たとえば自己流の臨床診断によって〈水準低下を来すであろう〉と見立てられた分裂病者には、〔水準低下を起こしてもしかたないという〕冷淡な態度をとりつづけるだろう。それが現実に自分の病気の予後に対する患者の絶望を強める結果、患者がほんとうに水準低下を起こしてしまうことになりかねない。
 われわれの文化は周知の如く、診断をたいそう重視する。また患者の家族も、われわれの文化パターンに従って、医者がその病気に一箇のレッテルの名をあてはめられるかどうかを非常に知りたがる。そのため一部の医者は〈これだ〉とばかり、もっともらしい臨床診断の体裁を作ろうとする。私にはそれはあまりよろしくないと思う。
私は〈何が起こったか〉よりも〈〔これから〕何ができるのか〉のほうにずっと関心があるからである。(反対する理由はこれだけではないが)そして〈何ができるか〉ということの内容は特定の名の臨床診断に依拠せずに決定できる。臨床診断というものは、〈精神医学の問題を大幅に単純化する〉〔という本来の目的〕よりも〈公衆の要請を顧慮してまた医者の専門家としての面子を保つために〉存在している、と私は思う。


 この章も大変学びの多い章でした。




 

受診が終わり、夜勤明けで新聞の取材を受けた親分を待つ間、病院近くの雑貨屋さんで時間をつぶしていたらこんな物がありました。
待っている間に携帯で色々調べてみました。

農民美術運動とは
信州の農民の長い農閑期を有効に生かし、充実した農民生活が国のためになると山本鼎が提唱した運動です。著名な美術家ではなく農民一人一人の手仕事から美術作品が生まれると教育、啓蒙しました。作品は主に木彫工芸品で、現代も一つのジャンルを形成しています。民芸運動や、宮沢賢治の考えとも共通する部分が多いです。


山本鼎
1882年に愛知県に生まれ、16歳の時に父の仕事で上田に移住しました。
東京美術学校やパリで洋画や版画を学んだ後、神川村(現上田市)の小学校に「農民美術練習所」を開設し、農民美術運動を提唱しました。
また、子供の美術の教育を、それまでの模写ばかりのやり方から、自由に絵を描かせる「自由画教育運動」に変えた先駆者でもあります。
一時期は、軽井沢の星野温泉にアトリエがありました。
北原白秋島崎藤村とも交友関係があり、奥さんは北原白秋の妹さんです。

 以上、上田市立美術館のサイトからの引用です。
http://www.mtlabs.co.jp/shinshu/museum/yamamoto.htm


 農民美術、良いですね!北海道の友人は農家をしながら素晴らしい絵を描いたり、物を作ったりしていますので、彼の作品なども立派な農民美術ですね!
 彼は見かけによらず(ごめんなさい!)裁縫やスイーツ作りが上手です。





 今日、神戸館さんで、年末チャリティー絵画展で得た収益の贈呈式があり、親分が長澤さんから頂いてきました。
 中日新聞・東愛知新聞・東日新聞さんが取材に来て下さった様です。
約22万円頂き、長澤さんご夫婦を始め、ご協力して下さった皆様に感謝します。本当にありがとうございました!
直ぐに入金させて頂き、早速中古ですが状態の良い車椅子を購入して来ました。
後は、ショートの方々が使われるマッサージ器や血圧計等とアトリエ・カーグで使う画材等の購入に当てさせて頂きます。