珍しく?親分がもっともらしい事を言っていました(笑)
先の写真幻想のブログを見て、シュルレアリスムはフロイトから来たと!さすが美大出ですね。
シュルレアリスムは、思想的にはジークムント・フロイトの精神分析の強い影響下に、視覚的にはジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画作品の影響下にあり、個人の意識よりも、無意識や集団の意識、夢、偶然などを重視した。このことは、シュルレアリスムで取られるオートマティスム(自動筆記)やデペイズマン、コラージュなど偶然性を利用し主観を排除した技法や手法と、深い関係にあると考えられることが多い。
1910年代にフロイトは、無意識の心理学の体系をほぼ完成した。この段階では、人間の心を意識、前意識、無意識という三層に区分した。前意識とは、容易に思い出して意識化できる内容である。無意識は、通常に意識化できない内容である。この場合、無意識内容の意識化を妨げているのが、抑圧の作用である。
フロイトは、無意識を生物学的・衝動的なものととらえ、意識によって洞察され、打ち克たれるべきものと考えた。意識としての自我とは理性であり、フロイトは、理性的な自我を中心とし、意識が無意識を支配すべきものとした。この点で、フロイトの思想は、近代西欧の理性的自我に基づく、啓蒙主義的合理主義の立場に立っている。
この辺りから来たのでしょうか?
あまり深入りすると、中々抜けられない気がしますので(笑)この辺にしときます。
1919年頃にツァラはアンドレ・ブルトンに招聘されてパリに活動の場を移した(パリ・ダダ)。その後1922年頃にツァラとアンドレ・ブルトンとの対立が先鋭化し、1924年にはダダから離脱したブルトン派によるシュルレアリスムの開始(シュルレアリスム宣言)と前後してダダイズムは勢いを失った。数年後にツァラとブルトンは和解し、ツァラはシュルレアリスムに合流した。1945年頃、シュルレアリスムも終息した。
ひとつの流れが出来るというのは、それだけ大きなエネルギーが発生しないと出来ないのですが、小さな流れも大海に出る時には、穏やかになってしまうのでしょうね。
先日、事務仕事の合間にネットサーフィンしていたら[為末大学]【耳が聞こえない蛙の成功物語】〜成し遂げたいなら世間と距離を置け〜なる物にヒットしました。
社会 投稿日:2015/8/19
サンディエゴにいた時によくWillie Banks(元三段跳びの世界記録保持者)食事をすることがあって、その時に話してくれた二匹の蛙という話がある。
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ある日蛙が二匹穴に落ちた。穴の高さはとても越えられないような高さで、二匹の蛙は必死でその穴から出ようとして飛んでいたが淵には届かない。そのうちに他の仲間たちが集まってきて二匹を応援し始めた。がんばれがんばれ。二匹の蛙はその声を聞いて頑張ったけれどやはりそれでも淵には届かなかった。
応援の声は次第になくなり、淵から覗き込んでいる仲間たちは諦めの声を上げ始めた。もうだめだろう、仕方ない。諦めた方がいい。そうした声が二匹の蛙にも届いてきて、一匹の蛙はついに跳ぶのをやめてしまった。そして座り込んで静かに死んでいった。
もう一匹の蛙はそれでもずっと跳び続けていた。もうだめだ諦めた方がいいという声が聞こえる中、何度も何度も跳び続けた蛙はついにある瞬間穴の淵に到達し、穴から這い出てきた。
仲間たちは驚き、その蛙の元に集まり、素晴らしい、よくやった賞賛の声をかけた。ところが蛙は仲間たちをぽかんとした顔で見て全く反応しない。仲間たちも怪訝な顔をしてその蛙を眺めている。
穴から飛び出した蛙は耳が聞こえなかった。励ましも、罵りもその蛙には届いていなかった。ただその蛙からは覗き込んでいるみんなが見えていただけだった。
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成し遂げたいのなら、世間と距離を置き、ひたすら為すべきことを為せ。という話。
時々炎上する様ですが、為末大さんの『為末大学』はためになります。
京都時代、あいつは料亭もお茶屋も女も知らんとバカにされていた職人さんが居ましたが、腕は一流でした。
遊んだり、外回りばかりしていてはその道は極められないという事でしょうか?
自分は現場主義の人間なので、現場に骨を埋めたいと思って居ます。
老害にならないよう気を付けて(笑)
骨董屋のおやじから貰った扇風機も、風雨に曝されて、良い感じに錆びて来ました!
そろそろ活動開始しないといけませんね!
その前に、ゴミ部屋と化した部屋を片付けないといけません.......。