今日は休日でしたが、受診後9月1日から始まる『生田操・伊藤直樹 二人展』の額装をして来ました!
まずは、みーちゃんの作品! 自分達だけだといつも同じ作品を選んでしまうので、みーちゃんの担当者にも選んで頂きました。
風格すら感じさせてくれますね!
どれを選ばせて頂いたかは、9月のお楽しみです!
写真にない物もあります。
次は直樹君!
小学生から描き続けておられ、年代別の展示になっています!
最近は直樹ワールドが出て来られていて、カーグのある日は毎回ワクワクさせて頂いています。
ひとつのモチーフで色々な変化・展開がみられ、魅力的です!
是非とも会場に足をお運びください!
詳細は後日アップさせて頂きます。
疲れているのか?(笑)そんなことないか(笑)癒しが欲しくて?
昨年、大家さんがネパールに行かれた時に頂いた、シンギングボウルを鳴らしたくなり、ネットで鳴らし方を調べてみましたが、中々うまく鳴ってくれません......。まあ、10分でマスターは出来ません(笑)
ふと、道教の『琴馴らし』を思い出しました。
〜気持ちよく聞き入っていた皇帝は、伯牙にどのようにして琴を馴らすことができるのか、その秘訣を聴きました。「他の演奏家たちがうまく琴を弾けないのは、己のみを歌おうとしたからです。私は琴に身を任せ、琴に何を演奏するか選んでもらいました。そうするうちに、琴が自分自身であったのか、自分が琴であったのかわからなくなったのです。」と伯牙は答えました。
福祉の現場にも通用する逸話かもしれませんね!
サリヴァンは第八章に入りましたが、第七章の最後の頁にあった文章です。
第七章 詳細問診における引照基準としての発達史
(2)[編者覚書]
一九四四年講義の終末にあたっての質疑応答の時間にサリヴァンは、現在の職にたいする態度の方が過去の職に対する態度よりも意味が大きいのではないだろうかとたずねられた。
サリヴァンはこの点をとらえて次のような議論を展開し、この問いを患者の生活における現在の事件の調査に関係させた。
すなわち、目下つとめている職にたいする患者の態度は職一般に対する態度であることが多い。過去の職についての話には遠い記憶の距離の美化作用以外残っていない場合もある。だから、私はつねに、現在の仕事にたいするその人の態度について多くを知ろうとするのである。「仕事は全く文句なしです」と言えば、それは問題で、彼の態度がほんとうにそうかどうかを知るには、これまで本気で取り組んだ仕事がいったいあるかどうかを聞くと良い。もし「今の仕事がきらいです」という返事であれば、これは彼の一般に職なるものにたいする態度なのか、あるいは現在の職業事情が特別で反感を持つのも無理はないのかどうかが知りたい。
一般に、人格の治療においては、きわめて重要なデーターの領域が三つある。
第一は「治療の場の外の患者の生活における現在進行中の事件」という領域である。ここに彼の現在の職もふくまれる。
第二は「治療の場における現在の対人関係」である。すなわち精神科医と彼との関係である。
第三のデーター領域は「患者の過去の事件」である。
患者=精神科医関係という特殊な関係になると、たいていの人は、その関係の相手である精神科医に関する自分の感情、思考、衝動などを話題にする時にはなかなか率直になりにくいものである。したがって、どの治療作業においても、その出発段階の相当長期間、データーを集める領域は「治療の場の外の現在の事件の領域」となる。精神分析の通俗版のどれかを読んだ者なら「そんなことはない」と言うかもしれないがほんとうである。「医師と患者との現在の治療関係」には、患者の生きる上での困難をつくりあげている自覚的および無自覚的な情緒問題を発掘しつつ、この「治療の場外の現在の事件」から移るのである。
患者の理想化された人生目標にかなった業績とは断然正反対の非実際的、非効果的なものをつきとめて問題を一つ確定したならば、もう非常に重要な第三のデーター領域、すなわちこの特定の情緒障害の源のある遠い過去に移ってよいのである。問題の始まりがどうであったかを発掘するほうが、障害の底にあるものが何かについての情報を多量に与えてくれるのに対して、それよりも成熟した時期の洗練された症状のほうがさっぱりわからないということがしばしばある。しかし、すでに述べたように、一部の患者は自分の願望や必要にあわせて生活歴を変更する傾向がいちじるしいので、こういう患者相手の場合には、現在というものなら多少は調べる甲斐があるが、過去のほうはかなりこってりと色がついている。この一般論的観点からしても、現在進行中のことには非常に特別な意義がある。
朝晩は大分涼しくなりましたね!
風邪をひかないようにして下さい!