うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

みーちゃんへと、集団指導

 今日は、愛知県の集団指導があり、名古屋に行って来ました。
みーちゃんが、おかあさんの所に無事行けるよう、自宅の飾りを設えようと考えていたら、会場近くの大須観音で骨董市をやっていたので、色々見させていただきました。
 いつもより少し多めにお金をもらっていましたが、計算を間違えてしまい。帰りの渥美線の520円がなくなってしまいました......。
 地下鉄代の200円と、名鉄の切符は往復のお得きっぷを買っていましたので、事情を話して、親分に豊橋駅まで迎えに来てもらいました。
 お互い、会議などで多忙な毎日を送らせて頂いているので、申し訳なく思いました。


 黒い天目茶碗や仏具等購入して、お盆ではありませんが、送り火をさせて頂きました。

 自分は地味なので、静かに送らせて頂きたいと思い、色々させて頂きましたが、こちらにさせて頂きました。

 

 電車の中や、早めに行った会場で沢山本を読む事が出来ました。
後、第12章と第13章を残すのみとなりました。
 下記のサリヴァンではありませんが、みーちゃんと過ごさせて頂いた中で学ばせて頂いたことを支援に活かしていきたいし、もっともっと勉強して「私と共にいてパニック様あるいは分裂病的な人はひとりもいない」と胸を張って言える様になりたいと強く思いました。


第8章 不安およびパニック症状
5,パニックの治療
〜しばしばそうされるべき必要があるのだが、患者が入院させられるときには、精神保健専門家による治療チーム全体の態度なり行為はその患者に同一の感情でもって伝えられなければならない。しばしば患者は、他の誰もが未だ体験したことがないような人格の解体を体験していると感じる。自分の恐怖がありふれた人間の体験であり、専門家はそれを取り扱うことに慣れているという単なる理解が患者にあるだけで、それは患者にとって大きな救いとなる。患者の看護に当たる人々は患者に何らの恐怖や困惑をも表明することなく、ただ患者が何を体験しているのかを共感的に理解するにすぎない。サリヴァン自身には、パニックに支配されている患者と関係を築く卓越した能力があり、それは伝説的な語り草となっている。サリヴァンは「私と共にいてパニック様あるいは分裂病的な人はひとりもいない」と語り、そのことでサリヴァンは引き合いに出されるが、実際に病棟で働くサリヴァンの姿を見た人々の数多くの報告によってその真実が支持されている。


〜多くの場合、治療初期に治療者がなしうる大半は、何らかの不明瞭なあり方で患者を脅かす対人関係を概括的に同定することにある。本質において治療者は次のように語る。「今は詳しいことにまで立ち入る必要はありません。非常に辛いことですからね。ゆったりとした気持ちでそれができたり、少なくともそうすることに今ほどの恐れを感じなくなったときに、十分に時間をかけてそうしたことを眺めてみましょう」。
 その仕事をとおして治療者は、患者の体験したものは不気味で不可解な惨禍などではないことを強調する。それは強い情動を伴うひとつの対人的出来事であって、あらゆる対人的出来事と同様に、いずれは話し合われ、理解し合えるものなのである。