うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

施設内研修の打ち合わせと『精神医学的面接』の訳者あとがきと序と骨董屋のおやじさん


 昨日、身体に障がいをお持ちの方の利用があったので、9月に予定している施設内研修の打ち合わせを行いました。
 講師は、職員がヘルパーの資格を取る時に(自分も)大変お世話になり、地元では有名な、松本はつ子先生にお願いしましたが、

 実践する中、しっかりした講習会になっていました!
事務仕事だけに来ていた職員もしっかりと見てくれていたので、本当に良かったです。

 松本はつ子先生が、本当にすごいなと思うのは「正解は一つではない!」とあの年齢になっても(済みません....)断言できるところだと思いました。
 「無理は禁物」とも仰られ、持続可能(ある意味サスティナブルですね)な支援(介助)をしましょうとも言われていました。

 腱や関節は、ダメージから回復するのが筋肉よりも遅いので、無理した後はきちんとしたストレッチや休息をきちんと取らないといけません。

ストレッチは運動療法において実勢頻度の高い手技のひとつで、ストレッチにより得られる効果として、関節可動域の改善、筋萎縮の抑制、筋肥大、血液循環の促進、障害予防、筋疲労の回復、疼痛緩和、バランス能力向上などが挙げられます。
静的ストレッチにより副交感神経が優位に働くことが明らかになっており、就寝前などのストレッチは入眠に対して優位に働くと考えられますし、運動終了後、クールダウンを終えた後のストレッチも相応の効果が期待できます。

 松本はつ子先生の良く言われていた、ボディメカニクスの事も、調べておかないといけないですね!



 9月の研修、宜しくお願い致します!

 
 今朝ひーひー王子と散歩に出たら、クワガタの腹部が裂けて仰向けになっていたので、草場に移動しようと顎を掴んだら、まだ生きていて、ガッツリと挟まれました(笑)痛かったですが(メッチャ!)笑顔で草場にそっとおかさせて頂きました。凄い生命力ですね!

 用事まで少し時間があったので(今日はシフト上は休みですが)神戸館さんで時間をつぶさせて頂きましたが、花餅が飾ってあり、お正月飾りのヒントを頂きました。


 言いたくないですが(笑)今日も暑かったですね!
帰宅後、何とか少しだけでもサリヴァン『精神医学的面接』を読ませて頂きました。
 あとがきだけでも勉強になりますし、アメリカでは今でもコメディカルの方たちの理念になっているとの事、非常に理解できます。

『訳者あとがき』より中井久夫
サリヴァンの遺著としては独特の端的な実践的な意義を持つ書であるとともに、サリヴァンの人間理解をもっとも掛値なしの具体性をもって示す書であると考える。精神科医の卒業後研修に有用であるのはもちろん、サリヴァン自身が意図したように広くカウンセリングにたずさわろうとする人、対外関係をとおして人間を「わかろう」とする人に捧げられた書である。


 後になりましたが、から

人間の真に顕著な特徴の一つは言語の発達であり、言語はおどろくほど人間のいろいろな目的にかなったものである。子どもを観察してみると、子どもという奴は(ママ)自分のまわりで起こるありとあらゆることに興味を抱き、好奇心旺盛で、ありとあらゆる形の質問を発し、自分の前に開けた世界と馴染になるための手段に言語を用いるが、やがて、他の人々との関係の中での不安体験がやってくる。言語以前の年齢における不安の影響を軽視してはならない。子どもは、言語の持つある種の魔術的な性格が、どういうわけか、自己評価が手痛くおとしめられた時に、自分を助けてくれるのに気づく。子どもは「ごめんなさい」「すみません」のような文句やその他の巧みに単語を組み合わせれば、是認まがいのものを貰えるのを会得する。この時点は子どもが宇宙(せかい)とその住人についての知識を広めつつあり、また言語という不思議な道具を使う技術を獲得し始める(言語は子どもの活発な好奇心と結びつく知識の拡大を促進する)まさにその時であるのに、子どもが引きこもりと抑制を特徴とする変化をおこす。好奇心は抑えられ、人間への関心も鈍くなり、何よりもまず自己評価を守るのに汲々とするようになり、この目的に言語を使うほうにより関心が偏る。 この過程は、われわれの文化では多かれ少なかれ万人に起こることである。私が多少知識のある他の文化でも同じである。
 言語を観念の伝達に使うようにさせる情況と、言語を観念の隠匿や歪曲に使うようにさせる情況とは、どちらが優位を占めるかと競い合っているらしい
安の体験がきわめて強烈で、言語で隠すほうの価値が優先順位第一の情況だと、好奇心とか自分の潜在能力の明確な自覚といった体験能力はぐっと減る。こういう人たちは精神科医がみれば、患者という事になる人たちにもあり、精神科医を訪れることのない多くの人たちにもある。 言語の伝達的な面と防衛的な面がひどく絡み合って混在するのが、あらゆる面接の共通特徴である。
 本書には面接を成功させるための重要な要素が強調されている。しばしば言葉よりも身振りや声の調子による伝達のほうがてきせつなものである。この要素の質がどういうものかは、面接者が被面接者の必要に敏感に反応できて、しかも被面接者の自己評価を下げるようなことは一切しないようにしてはじめてわかるものである。 練達の面接者ならば、診察室を訪れる人たちに十二分に安全保障感を増してやろうなどという英雄的試みなどはしないものである。無意味な「大丈夫だよ」というジャスチャーをして、できもしないことをやろうとしたりしないということである。 ではどうするのか、面接の中で相手を表裏なく真剣に尊重する態度でいることを証明してみせるのである。
そのように相手に対して正直で飾らない敬意を表明すると、お返しがある。それは面接者に対する敬意だけでなく、何とも素晴らしいことには、被面接者の自己尊敬感が増すことにある。実に感動的である
まさに社会的な場で起これかしと願うことである。面接の場でそういうことが起これば、すべての関係者にプラスとなる見通しは非常に明るい。(オットー・アレン・ウィル)

 アメリカの精神医学においての発達論はサリヴァンに始まったと言われる所以がここにある気がします。
 しつこいですが(笑)今年一杯はサリヴァンを読み続けたいと考えています。


 今日は所用があり、浜松まで行ったついでに、久し振りに作品の素材を頂いていた、骨董屋のおやじさんとお会いし、骨董の話を沢山聞きました。新しい発見や、その親父さんは「日本の陶芸は鎌倉時代で終わった。それ以降の陶芸は造形に厳しさを感じない!」としかし、魯山人は「日本の焼き物は桃山時代で終わったと言っていますが」と反論すると「俺は壺に何千万円も失敗しているからわかるんだ!」とそれから魯山人についての討論もさせて頂き、最終的には自分にお金がないのを良く知っているので(小羊学園の近くにあり、早番で早く帰宅する時に、色んな物を見させていただきました。)お金がないなら、滋賀県の山に行ったら、鎌倉時代の古墓がまだ沢山あるので、掘ってきたら?と軽く言われ、俺はそんな奴らとも付き合いがあるとも言われ、返す言葉がありませんでした....。
 今日は川越から買い付けから帰って来たところとの事で、車から古道具を降ろしているところで、漆塗りの小さな箱に、薄く削った木の板に戒名が書いてある位牌(箱に20枚くらい入っていました)をチェックしており、これは寛政何年と書いてあると、笑顔で見せてくれました(笑)本当に数寄者ですね!
庭には古い大壺が沢山あり、全てに蓮が植えてありましたが、買わない人なので、葉を下さいとは言えませんでした......。
 買わない(買えない....)のに何故行くのか?と皆さんに言われますが、庭の隅に商品にならないようなガラクタが山の様になっており、いる物があれば持って行ってもいいと言ってくれるので、前はよく行っていましたが、最近はガラクタを処分されたので、行く機会がなくなって、用事で三方原近くに行かない限りは足が遠のいていました。
 彼は自分が錆びたり、朽ちたりしたものを作品にしているのを知って提供して下さっている所もありました。
店の中には入れてもらえず、店の外でしか相手していただけませんが(笑)まだ作品にしていない、錆びてぼろぼろの扇風機や崩れかけの煙突・七輪(これは触ると崩れてきますので、写真を撮っています)等、沢山頂きました。

 長くなりました......。