うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お盆ですね!と9月の展示準備とサリヴァン


 夜勤明けの帰り、槿を頂いて来て、仏壇に生けさせていただき、残りを古い洗面器に入れていたら芒を添えたくなり、入れてみました。
花器をあまり持っていないので、自宅にある物なら何でも使っています(笑)
 バックは又もや無断で、大家さんの倉庫です(笑)
少し涼しくなりましたね!

 夕方、明日のカーグとバンドクラブの準備でうたたねに車を取りに行ったついでに、蓮の葉を一枚頂きに行きました。

一仕事終えてから、お薄を塩羊羹(沢山頂いたので来年の分までありそうです!)で頂きました。ちょっと蓮の葉において、お盆を満喫?してみました。





 親分が昨日から9月の展示の準備をしています。
豊橋商工信用組合で、『生田操・伊藤直樹 二人展』を行う予定です。
直樹君のは、マッチ箱をモチーフにしたときの作品ですが、イメージの広がりが驚異的ですね!操さんはベテランの味が出ています。



 今日も午前中少し寝させていただき、起床後少しだけですがサリヴァンを読ませて頂きました。
 沢山アップさせて頂きたかったのですが、長くなりすぎるので2つだけにしました。

詳細問診 その理論的設定・人格における「自己組織」の発達
187,ユーフォリア、不安、自己組織 
 われわれすべてにとって極め付きの重要性があるのは、現在味わっているユーフォリア(機嫌のよさ)のレベルを維持することである。われわれが、多数の過程より成る(「自己」という)一つの巨大なシステムを発達させたのも、さまざまの警戒的意識状態を発達させ、シンボルや警報を発達させたのも、これ皆すべて、現在持っている存在の心地よさというべきものを守るためである。自己の起源は幼児と母親役の人との関係にあるが、しかし最初に明瞭に出現するのは小児期で、小児は「いけません」という身振りを回避する一般的技量を発達させる。小児期の後半になるとこの技量には磨きがかかって、困った状態で面子を多少でも立て直すための非常に多数の言語的対人操縦術ができあがる。対人操作、対人的予防措置、対人的アンテナ感覚などからなる壮大なこのシステムのことを「自己組織」と呼ぶのがよかろう。これは「人格」の一部分で、まったく、個人の「ユーフォリア」を左右する重要人物の影響から生じたものである。この、複雑な対人作戦の非常に多数の集合より成る組織体(オーガナゼイションン)があらわれた目的はただ一つ、「小児がかかわりがあって対人の場を共有する常用人物」との関連によって「ユーフォリア」が低下するのを避けるためである。この「ユーフォリア低下」は、実際には「不安体験」と同じだから、精神科医ならわきまえていなければならないことだが、どんな患者でも人生のきわめて初期の体験が生きているもので、そのために患者は、「言葉と身振りのどちらかを使うにせよあまりたやすく自己を表現しては危ないぞ」という用心をするものである。幼児期においては、「自己組織」が当人の存在の心地よさ、すなわち絶対的ではないにしてもともかく「ユーフォリア」(の範囲内)にあるものの低下感を防ぐ途を模索しているのだ、と言ってもいいだろう。そして幼児期においては、存在の心地よさが下がると、それが何であっても、不安体験になる。もう少し大きい年齢の子どもの事を考える時には、「自己組織」の対人作戦を「当人の自己評価を守るように計算された対人作戦ではないか」と思ってみると、なるほどとうなずかれることが少なくないだろう。そして、自己評価の低下は何であっても不安体験になる。(以上は)定式化はちがっても、同じことを言っているのだが……。 サリヴァン


190,能面のような面接者ではよくない
 私は何も「完全なる面接者は不透明でありなさい」とか「意味のこもった身振りなどはしない人であるようになりなさい」とかを言おうとする者ではない。考えてもみなさい。何を考えているのか手がかりを全然示さない人、(相手と)二人でどのようにしていくのがよいのかの鍵を全然与えてくれない人に面接を受けて、人生の大事な一面を検討されるとしたらどんなもんだろうね? きっと数分間で我々は緘黙症にさせられるだろう。我々の側の不確実感はひどいものになるだろう。といってもあんまり急性に不安となるものだからその場を立ち去る事もできない。立ち去れない理由は他にはないが……。要するに我々は(そんな能面のような人を相手としていたら)誰も自分の安全を感じないのである。我々は、社会秩序の人間の生に対する有用性が大いに改善されるまでは、どうせ(得体のしれない人間には)安全と感じないだろうが……。実態はどうだろうか。面接者は声の調子や身体のジェスチャーでもって信号を送っている。ことばではっきりいう事もある。(これを)被面接者に解釈してもらってもいいのだよ。実際、被面接者は解釈するのもだ。誤解釈をもするが、面接の技量というものは(被面接者の解釈を)下手にしないようにすることではないのだから(止むを得ない)。こういうジェスチャーや信号は、現在進行中の問答に関する面接者の考えをあけひろげにみせるものではないかもしれないが、被面接者に対して「面接者が人間である」ことを示唆する役には立つわけで、それで充分患者の支えになる。被面接者は気持ちが軽くなって、不安や不確実性に金縛りにならずに先へ進めるものである。サリヴァン


 サリヴァン精神科医と言う職業は、簡単で楽な職業ではないと口酸っぱく何度も言っていますし、発達論から自己組織の形成段階を患者さんの生活史から見ていく重要さも、何度も言っています。

 福祉職として現場にいても非常に勉強になります。

 やっと第6章に入りました。