うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

すろーじゃむ片付けと『無記』


夜勤明け、すろーじゃむ周囲の片付けに行って来ました。
来週から、身体に障がいをお持ちの方の利用が始まりますので、動線に当たる部分の、障害物は全て無くしました。
 家主さん宅の周囲に有るもの全て使っても良いとの事で、蛸壺、石臼の割れたもの等で、少し遊んでみましたが、安物の骨董屋さんみたいですね!

 導入部には、ミルクの缶を理事長が見つけて来て、置いていました。
これでHさんが来てくれると、鬼に金棒状態になります。
 年齢や性別、障がいの有無等、関係なく楽しめる空間に二人でするとの事。
外装(全体的)、内装(食堂)は、Hさんと理事長がタッグを組む、来週からが楽しみです!
 事務屋は、資源化センターに走るのみです!

 はっくるべりーじゃむさんに刈払い機を借りて、久し振りに草刈りをしましたが、しばらく使っていなかったらしく、途中でよくエンストをおこし、三分の一しか刈れませんでしたが、時間を見つけて刈払い機の整備をして、仕切り直したいと思っています。
混合油がかぶりすぎていたので、洗浄したいところでしたが、道具もないのではっくさんと相談しながら綺麗にしていきたいと、思っています。
 草刈りは大好きです!
特に刈払い機を持っていると、苦手な蛇がいても強気になれます(笑)
 仕事の電話などでとぎれとぎれでしたが、今日の目標は達成しましたので、良い疲れになりました。

 夕食を摂ってパソコンに向かったら素敵なコラムがありました。
毎日、自分たちのしている事、しようとしている事が本当にニード、ニーズに合っているのか? 悩みながら走り続けて、ハッキリした答えも見つからず、落ち込むこともあるので、この茂木さんのコラムに、答えのない自分たちの課題に立ち向かえる元気を頂きましたので、少し長文ですが、アップさせて頂きました。


「信念を貫け」「永遠に問い続けよ」というブッダの遺言 −脳科学茂木健一郎

人生最大の正念場、私を支えた一つの教え

PRESIDENT 2014年4月9日 僕の人生には、これまでに大きな危機が2度あった。そのうちの1回についてはいまだに詳細を語ることができないのだけど、下手をすればこの国で生きていけなくなるほどの危機だった。
にっちもさっちもいかなくなった僕は、養老孟司先生にメールで救いを求めた。先生のお力を借りられれば、事態を打開できる可能性があったのだ。先生からの返信メールは、実に簡素なものだった。
「人生には1回や2回、もう死んじゃうのではないかと思うようなことがあるけれど、まあ、だいたい大丈夫」
僕はこの言葉を、いまだに忘れられずにいる。養老先生は日頃、人生だの生き方だのといった言葉をほとんど口になさらない。そういう方がおっしゃる「だいたい大丈夫」という言葉には、とてつもない重みがあった。さりげない言葉の裏側に、先生のそれまでの人生が透けて見えるようだった。
そして養老先生だけでなく、僕が脳科学の教えを受けた優れた先達も一様に、「多くを語らない」人々だった。それでも彼らは、能弁な人よりはるかに強いインパクトを僕に与えてくれたのである。
僕は科学者だから、何が人を救うかを冷静に観察しているところがある。「ある言葉が救いになった」という話はよく聞くけれど、多くの場合、言葉自体はあくまでも氷山の一角にすぎない。人は水面に頭を出している言葉ではなく、水面下にある大きな塊を想像することによって初めて救われる。水面下の塊とは、その言葉を発した人物が持っている「言葉にならない何か」としか言いようがない。
そういう意味で、僕のもうひとつの危機を救ってくれたのが、ブッダの「無記」という言葉だった。
僕は30代に小林秀雄の『私の人生観』を読んでいて、この「無記」という言葉に出合った。ちょうどその頃、僕は「クオリア(意識の質感)」という言葉を使い始めたことによって、学会から袋叩きの目に遭っていた。いまでこそクオリアは世界中で使われている言葉だけれど、当時、この言葉を使う科学者はまだ少なく、「茂木健一郎は科学者失格」などという激しい批判を浴びていたのだ。これは、僕の科学者としての人生における最大の危機だったと言っていい。
そんな状態にあった僕は「無記」という言葉に、魂をいきなりガツンと殴られたような衝撃を受けたのである。
「無記」とは、ブッダが死後の世界の存在やこの世がどのように成り立っているかといった根本的な問題について質問を受けたとき、それに対して一切答えない姿勢を貫いたという事実を指す言葉だ。
人間は自分の考えや夢を口にすると、それだけでかなりの満足を得てしまう。そんな人間の弱さを熟知していたブッダは、安易に答えることをせず黙々と自身の信じるところを実践してみせたのだ。
その生き方はいかにも峻厳だ。そして、「無記」を現代文明が抱える病理を抉る言葉として蘇生させた小林秀雄という人も、実に鋭い感性の持ち主だった。
僕は「無記」に出合ったことで、周囲からどのような誹りを受けようと黙って自分の信じるところを貫けばよいのだと思い定めた。「無記」の背後にあるブッダの「言葉にならない何か」が、科学者としての危機を乗り越える力を僕に与えてくれたのだ。
答えなどなくていいんだ
「無記」はまた、これとは異なる意味でも僕に救いをもたらしてくれた。
この言葉に出合うまでの僕は、答えは必ず見つかるものだと信じていた。この思い込みは、答えがわからないという苦しみを僕に与える一方で、答えがわかったと思えた瞬間、生きていることがひどくつまらなく思えてしまうという二重の苦しみで、僕を引き裂き続けていた。
しかしブッダは、「無記」という言葉を通して、人間にはわからないこともあるのだと僕に語りかけていた。
現代人は性急に答えを求め、答えさえ手に入れば安心して生きていけると信じている。これは現代文明の病だ。しかし、人間には答えを知りえないことがたくさんあり、知りえないからこそ探求したいと強く思うのだ。そして、自分なりのアプローチで答えを探し続けているこの宙ぶらりんの状態こそ、実は、「よく生きている」状態にほかならない。
裏返して言えば、生きることに答えなどあってはいけないのだと僕は思う。なぜなら、答えを知った瞬間に人間は生きる意味を失ってしまうからだ。それは、限りなく死に近い状態だ。死とは停止であり、問い続ける必要がなくなった人間は成長をやめて、停止してしまう。
「無記」は、科学者としての僕の意識を解放してくれた。クオリアや偶有性(半ば規則的で、半ばランダムであることが混じり合っている状態)というおよそ答えの出そうもない難問を研究テーマに据えることができたのも、答えが重要なのではないと思えたからだ。大切なのは永遠に問い続けることなのだ。「無記」に出合って、僕の抱えていたストレスは雲散霧消してしまった。“コンプライアンス病”などと揶揄される現代の日本企業の行き詰まり感は、「無記」の対極の世界で起きている現象ではないかと僕は思っている。
本来、コンプライアンスというのはガイダンスであるはずだ。ところが現代の日本企業の多くは、個条書きにされたルールを金科玉条とし、それを杓子定規に墨守することに熱心になっている。こうした柔軟さを欠いた意識のありようこそ、日本企業の活力を殺いでいる最大の原因ではないかと僕は思う。
面白い研究がある。イギリスの歴史の教科書には複数の歴史解釈が書かれていて、諸説のうちどれを正しいと思うか自分で考えなさいというスタイルで授業が進行していくという。一方、日本も含めた東南アジアに多く見られるのが、教師や教科書が唯一の「正しい歴史」を教え、それを生徒に記憶させるという授業スタイルだ。この教育スタイルは、法律を慣習においてとらえる「慣習法」と、条文においてとらえる「大陸法」の伝統にそれぞれつながる。そして、前者のような教育を施している慣習法の国と後者のような大陸法の国を比較してみると、長い目で見て経済成長を継続しているのは明らかに前者だというのである。
答えがあると思い込まされ、誰かが決めた正解に最短距離で到達できた人間が優秀と見なされる社会と、正解がないことを前提として、自分なりにエビデンスを収集し、自分なりの考え方を周囲に問うていく社会では、学ぶことや生きることの楽しさがまるで違う。答えなんてなくていいのだと思えば、生きることが楽になり、そして、自力で生きようとする力が湧き上がってくる。
「記」は、判断をあらかじめ縛ってしまう。「無記」は思考を解き放ち、人を偶有性の海に放り込んでくれる。人間の自由は、そこにあるのだ。