昨日はアトリエ・カーグと歌のないバンドクラブの日でした!
その前に女子たちは散歩に行って、自販機でジュースを買われた様子!
今日の画題は一体何だったのでしょうか?でも、楽しそうでした!
バンドは新しいユニットが生まれていました!
午後からは、女子も男子もすろーの湯に行きました!
帰宅時にきれいな三日月が出ていましたが、自分の携帯ではいつものごとく、これが限界です。
下記は現場や経営では本当に大事なことですね。
「タイム」と「タイミング」の違いについてもう少し教えてください。
「タイム」は(仕事に)かかった時間で、「タイミング」は(仕事を)いつやるのかということです。
同じ10時間の仕事をしても、締め切りに遅れるのと、締め切り3日前に出すのは全然結果が違うじゃないですか。
たしかに。
なぜ「タイム」よりも「タイミング」の方が重要かというと、「タイム」は個人で解決できる問題ですが「タイミング」は自分1人が遅れるとチーム全体のタスクに影響を与えてしまうからです。
最近なぜか?黒地になってしまいます(笑)。原因が分からず、まあいいやで済ませています(笑)。
下記は移行期間が終わって社会に出るときもそうですね。
〜子どもの親離れの場合でも子どものときから、親に対する仮託性というものが、どこかでわかっていて、親もただの人間であって理想的な面ばかりではなく、こんな欠点もあるし、しょうがない面もあり、もう一方で理想的なよい親の面も見ているという健康な子どもは、スムーズな親離れができます。 ところが、理想的な親像を実際の父母に投影して、その内的幻想と外的現実のくい違いを現実吟味することなしに、歪んだ親像がこり固まってしまっている人物が分裂病になる場合が少なくない。
たとえば、家族じゅうが父親を理想化して、理想化した面でしか見ない場合があるとします。その父親がとても変わった人で、常軌を逸したようなことを子どもたちに命令しても、子どもたちは偉い人がすごいことを言っているのだとしか受けとらない。
つねに理想的な父親像の面でしか受けとらないという家族があります。分裂病が出てくる家族にはそうした父子関係が多い。 これは健全な共同錯覚の世界とくらべて病的な共同幻想の世界と言えるものです。共同幻想は現実検討されず、容易には幻滅が起こらない。ところが、その中でこの共同幻想から目ざめて父、母のイメージに対して幻滅を起こした子どもに分裂病が発症する。
もしそのまま共同幻想のままに過ごせば、一種の妄想の世界にいられるので、その環境のなかにいる限りでは異常に見えないわけです。 逆説的ですが、その妄想から目覚めるときが危機なのです。子どもが青年期になって、客観的にそういう関係を見られるようになって、その世界から脱出しようとするときが分裂病に陥りやすい。脱出はしてみたものの、その幻想を共有していた自分しかもっていないから、そこで自分が真空地帯に落ち込んでしまうのです。