今日のうたたねと、教育系YouTuberの第一人者 誰しも平等に 教育を受けられる世界にと、【子どもは遊んでいるときはとても真剣である。真剣ではあるけれど、一方で子どもは遊びの対象を幻想しているものとまったく同じだと思っているわけではない。】
やっとカーンバーグの上巻を読み終えました……。難しくて中々進みませんでした。
朝、ルーチンの読書をしようと玄関にカマキリがいました。これは寝ているのでしょうか?お腹が大きいので、産卵に備えてそうですね。
最近毎日大家さんのねこさんが玄関で寝ているので、気を使いながら(笑)、出入りさせて頂いています(笑)。
今日も笑顔で1日終えることができ感謝です!
下記は大学院の講義のゲストで、有料のを運営されておられる方のビジネスモデルをお聞きさせて頂きましたが、貧困家庭のことは全く考えておられませんでしたが、葉一先生は考えられておられるので、貧困家庭出としては非常に嬉しいし、頼もしいです!
葉一は「自分が救われた」と語る。
「自分が人の役に立つということを初めて教えてくれたのがその子たち。『自分は世の中にとって必要ない人間。死にたい』と思っていた自分を救ってくれたんです。このとき、絶対に一生、教育に携わり、子どもたちのために生きていく、と決意したんです」
下記のように出来る方は、正常な方ですね。しかし、だつ錯覚を自分たちは考えないといけない時が多いです。寄り添うことは比較的簡単ですが、離れることは難しくて、中々出来ないし、逆に共依存になってしまう支援者が多く見られますね。自分たちはそうならないように努力させて頂いています。
3幻想と錯覚 主観と客観の交錯する世界 「ごっこ」と共同錯覚 実のところ夫婦の場合でも親子の場合でも、精神的に健康な人間であれば、半分それが錯覚であるとわかっているのが幻想とはちがうイリュージョンの特徴です。
わかっていてしかも演じるわけです。相手が完全に自分の思っている通りの人間ではないことがわかっている。わかっていながらその人に自分の理想像を託す、それがノーマルな恋愛というものです。 このような認識はすでにフロイトが指摘しています。フロイトは遊びのことで次のように述べています。
子どもは遊んでいるときはとても真剣である。真剣ではあるけれど、一方で子どもは遊びの対象を幻想しているものとまったく同じだと思っているわけではない。〜