うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

夕焼けと、ブドウの花と、今日のうたたねと、日本人は「鳥の眼」「魚の眼」「虫の眼」を磨くべきだと、【結論からいえば、これは性的他者が何らかの精神分析的知をもって、想像的対象であり続けることを拒否すると共に、最終的に主体もまた、その知を分節された形でもつことで達成される。】

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  こちらは以前に撮ったものですが、好きなので(笑)、アップさせて頂きました。

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 昼からは、男子だけすろーの湯に行きましたが、ブドウの花が咲いていましたし、既に結実しているものもありました。

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 夜はいつも通り音楽で楽しみました!

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 遅番を終えて帰ろうとしたら、お月様がきれいでした!

一日皆さん笑顔で終えることが出来、感謝です!


 下記の『優れた目利きは、膨大な量のリサーチをしています。勘だけでやっているわけではありません。』は、本当にそうだと思います。

経済を見るにもアートを見るにも「鳥の眼、魚の眼、虫の眼」が大事

では、日本には一体、何ができるのでしょうか。

邉見氏:チャイナ・アセアンで日本企業が生き残っていくためには、もちろん日本企業の強みを生かして現地で事業を展開したり、チャイナ・アセアンの企業に投資したり、あるいは優れた点を学び取って日本やその他の地域で展開していく必要があります。そのために、次の勝負は、現地企業の評価やスタンダードの持ち帰り、価値の再定義みたいなものができるかどうかというところかもしれないですね。

 前回、ベンチャーキャピタリストやギャラリストなど、目利きの大切さの話が出ましたが、どんなビジネスパーソンにとっても、評価する眼が必要になっています。その前提としての情報収集と分析です。

脇田氏:そうだと思います。まさにモノの見方ですね。優れた目利きは、膨大な量のリサーチをしています。勘だけでやっているわけではありません。

 

 

  下記は、ウィニコットが言っている、脱錯覚と同じように思えました。現場でもクラインが言うところの妄想ー分裂ポジションからきちんと抑うつポジションに移行できないと、躁的防衛になってしまうので、一番気を遣うところです。きちんと着地出来たら徐々に離れて行くと言うことの繰り返しが、現場での自分達の仕事だと思っています。

 

 今日は理事長が大きな施設の長に、色々と相談したようですが、その方の指摘は鋭かったようですね。色々策を練っていましたが、今まで通り小さな形で、きちんとした支援を目指すことをすることにしました。そういえば、日本最大の福祉法人でも、裁判の案件をいくつか抱えていると言うのを大分前に聞いたことを思い出しました。簡単に人を集めて、簡単に支援など出来るはずがないと、初心に戻らせて頂けました。魔法なんてないので、毎日毎日現場と先人の教えとを照らしながら、その方に一番合った支援方法を考える毎日です。それしかありません!

 〜題は、このような「破壊」がどうやって可能になるかである。結論からいえば、これは性的他者が何らかの精神分析的知をもって、想像的対象であり続けることを拒否すると共に、最終的に主体もまた、その知を分節された形でもつことで達成される。

 ず、主体は攻撃性の抑圧と幻想(想像的他者)の保持に腐心するので、それを打ち破る動きは、愛への一定の拒絶として、性的他者から与えられる必要がある。これは主体にあらわな攻撃性を呼び起こすだろう。

 かしそれでも、主体に明確な分析的知、すなわち「主体とは常に象徴的/想像的けによって自らを支え、原初的不安や攻撃性を抑圧し、さらに理想化という形で攻撃性を再帰させるものだ」という認識が与えられなければ、彼は不安と攻撃性に苦しみつつ、なお妻や子どもといった幻想に囚われ続ける。

 は希望や信念や、家庭の平和を維持することを、あたかも不可侵の業務と思い込み、最後までそこから出られない。

 かし上述の認識や、幻想的価値や慰安的な他者がいなくてもなお欲望をもち生き続けることを肯定する分析的知が、はっきりと主体に与えられ、しかもその上で現前する性的他者が、攻撃性の再帰と幻想の空白に苦しむ主体を「支える」なら、主体は自己の欲望を幻想的粉飾なしに肯定し、幻想を認識ー解体する基盤を獲得する。