昨日のうたたねと、マスクに「JIS」規格制定へ 飛まつ防止の効果など要件にと、【なぜならシニフィアン(意味するもの)にシニフィエ(意味されるもの)が一義的に結合していると考える従来の言語においては、全く関係性をもたない語同士が結びつく隠喩、とりわけそれが極端に現れる詩の例などは、言語の逸脱的使用例として片付けるしか説明は不可能だからである】
またまたアップし忘れてました!
昨日も暑かったですね。散歩は少なめにして、熱中症予防で、まめに水分補給しました。今日は肌寒い!
今までなかったんですね!
下記は、ラカンを敬遠してしまう要因でもありますね(笑)。
逆にこの辺りを理解できたら、少しはラカンを理解できるのでしょうか?
4 精神分析的アプローチによるコミュニケーションの構造
1 隠喩
ラカン(1981)は、コミュニケーションを根底的に支える機制は「隠喩」であり、また主体とは「隠喩」によって構成されていることを示唆した。ここまず従来の言語学における「隠喩」概念を確認しておこう。
隠喩は、言語学においては、意味における臨界的な事象であること隠喩は、何かを他のものによって示す(たと「人間は一本の葦である」)伝統的なレトリックの一形態であるが、ヤーコブソン(1969)によって、言語の結合の2類型である、「隠喩ー相似関係(共時)」、「換喩ー隣接関係(通時)」のうちの一つとして示された。
「隠喩」はこのように「相似ー選択関係」として措定されるように、「一杯飲む」といった隣接関係の換喩に比べ、もとの解離も激しいゆえ、言語学及び意味ロールにおいても常に論争の焦点となってきた。
隠喩についての数多くの議論はいまだに決着がついておらず、隠喩は、言語学、意味論の内部においてはいわば死角(すなわち症候)となっている。
なぜならシニフィアン(意味するもの)にシニフィエ(意味されるもの)が一義的に結合していると考える従来の言語においては、全く関係性をもたない語同士が結びつく隠喩、とりわけそれが極端に現れる詩の例などは、言語の逸脱的使用例として片付けるしか説明は不可能だからである。〜