うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

PCR検査キットが来ました!と、馬酔木の花と、今日のうたたねと、キレイな空と、「夜中に甘いものが食べたい」三流は食べ、二流は我慢する、では一流は?と、【つまり、物体としてのニューロン中を流れるのは刺激興奮の「量」なのであるが、それに対して、意識は「質」の世界である。】

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  PCR検査キットが来ました!愛知県は高齢者施設と、障碍者施設の居住系施設職員の検査があります。常勤非常勤関係なく、あたりまえでしょうが、検査します。

 自分は利用者さんたちと、クラスターが出た病院に何度も長時間待ちをしているので不安もありますが、出たら出たで仕方ないですね。今、福岡真一先生の『迷走生活の方法』を半分くらい読ませて頂き、福岡伸一先生がこの状況下、黙っておられてはなかったことに安心しました。

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  惰眠を貪る私はすでに迷走生活をしているかもしれない。おかげさまで身体は丈夫です!(小泉今日子)
コロナ時代に必読の福岡ハカセのエッセイ集。
「コロナ時代のいま、福岡ハカセの提唱するのは、知的生活ならぬ『迷走生活』なり。むろん右往左往する生活のことではなく、迷走神経を活性化する生き方を目指そう、というもの。(中略)迷走神経が優位にある時、心身はリラックスし、ストレスは低減、免疫系は活性化され、病気は遠のき、ウイルスも退けられる。人生百年時代。長く、健やかに生きるためのコツがすなわち「迷走生活」。本書のコラムはすべて、そんな気持ちを常に心にいだきながら書いたものです」(まえがきより)

「節制」と「抑制」の違い

——「節制」ということは、やっぱり「ツラくてもガマンしなさい」という話じゃないですか。そんなことなら、いちいち哲学を持ち出さなくてもわかります。

いや、ツラいのは「抑制」であって、「節制」からは喜びが生まれるというのが、トマスの哲学の考え方です。「節制」と「抑制」は言葉としては似ていますが、決定的な違いがあるのです。

 

 

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 〜れで、この「質」はどのようにして成り立つのであろうか。フロイトは、「質」をうみだしてくれる特別なニューロンが、ΦニューロンとΨニューロンとは別に存在するに違いないと考えた。それがωニューロンである。

 ロイトはこう記しているニューロン「そこで勇気を奮い起こして、ωといった第三のニューロン系が存在すると想定しよう」(p.20)。ωニューロンで生み出される「質」こそ、物理的な外界とは異なる「意識的な感覚」の世界である(p.20)。

 ここでは、量と質の関係が問題になっている。「自然科学は量のみを認めるが、我々の意識は質のみを提供する」(p.20)。つまり、物体としてのニューロン中を流れるのは刺激興奮の「量」なのであるが、それに対して、意識は「質」の世界である。

 経系はその構築からすると、外的量を質へと転換するための仕組みからなっていると期待される」(p. 20)。すなわち意識と、「量」とは完全な別物なのではなく、「量」から作り上げられた「質」なのである。

 がじつは、正確に言うと、意識は上記の「質」だけで出来上がっているのではない。「意識の内容」には、「感性的質の諸系列」以外に、「それとは異なるもう一つの系列」があるとフロイトは言う。それは「快・不快感覚の系列」である(p.23)。これが後年の快原理の原型となっていることは言うまでもない。そして以上の想定から分かるように少し快と不快は、量によって生み出される。

 原理は、フロイト精神分析の中心的な概念であることが重要である。この点を忘れてしまうと、「快原理」の重要性を強調するフロイトの主張とは、〈人間はもともと、現実の厳しさに向き合い努力することから逃れて、短絡的に快いことだけを追求したがる生き物である〉という意見だと思ってしまいがちである。

 かし、「草案」を見る限り、大事なのは、快原理が量に関わるという点である。そして、快原理が心的装置にとって基本原理であるのはすなわち、質的ではなく量的メカニズムこそが心的装置の核心をなしていることを意味する(竹中、2004,p.83)。