昨日から豊橋商工信用組合・田原支店さんで、アトリエ・カーグ展が始まりました!ご高覧の程、宜しくお願い致します!
下記は自分達が学んでいるものですが、下記にはグローバルサウスには触れていませんね。発展途上国に対してはどうフォローしていくのか?SDGsはやはり大衆のアヘンなのでしょうか?それを言っていないとやり玉に挙げられるので、仕方なくやっている感がなくなるまであと何年?途上国はクリアできても発展途上国に押し付けているだでは、全く問題外ですよね?大学院もSDGsを謳っている振りをしておけば(笑)、単位がもらえるのでしょうか? 話が逸れるかも知れませんが、『ヨーロッパはアジアの岬になる』と書いたのは、ヴァレリーでしたでしょうか?
今日は休みでしたが、コロナがまだまだ心配なので、送迎車に少人数で対応させて頂き、窓も雨でもバイザーまでは全ての窓を開けていますので、送迎だけ行かせて頂きました。
送迎後、精神分析と自閉症を読み返しながら、引用させて頂いています。樫村愛子先生の本が今はメインですが、心理学草案が非常に気になって仕方がない日々を過ごして(笑)います。それに関する論文も落としてよみながら!
その人物の良心の重要な部分という箇所は、現場では抗精神薬で、その人物の持っておられる特徴を決定的に失われてしまっている場面によく遭遇します。薬は自分たちには触ることができないので、ハリー・スタック・サリヴァンが言っていたように、障害(や薬)がなければ、その人物はどんな人格だったのか?を第一に頭に入れてから支援させて頂いています。話が逸れまくりでした。
〜フロイトは、道徳と道徳的マゾヒズムをまったく異質のものと捉えるのではなく、両者の連続性、そして道徳からマゾヒズムへの「退行の道」がつねに開かれていることを指摘する。
たしかに「倫理性」を維持するためにマゾヒズムが必要悪として利用される場面がありうるかも知れないが、そのことによって、「その人物の良心の重要な部分」が決定的に失われる危険にさらされるという指摘は示唆的である。
このようにして道徳や倫理の問題は、「いと高きもの」の次元ではすまされないものとなっていく。〜