昨日も日勤で、ギターを弾いたり、男子だけすろーの湯に行きました!まだまだ寒い日が続きますが、明日から3月ですね!
下記のニュースは、障がい者施設でも言えますね。この状況下、身近な施設で日中のカラオケをしている施設がありびっくりしました........。マスクすらキチンと出来ない方が多いのに.......。
下記を読ませて頂いていて、エビデンス、エビデンスと言いながら、即効性を求める社会になっているのは何か矛盾を感じます。フロイトの心理学草案的な、熟考するプロセスの大事さは見て頂けないのか?それは自分達の現場にも言えることです。一つのことをきちんとできるまでに、どれだけの努力をしてそこまでに至ったことは、全く考えていただけませんし、薬で大人しくされているのが、応急処置しかしていない人、施設だけが称賛されている気もしています。
3.道徳とマゾヒズム
論文「マゾヒズムの経済論的問題」の冒頭部分でフロイトは、「マゾヒズムの対立物であるサディズムとは異なり、マゾヒズムは精神分析の理論にとって大きな脅威となるものである」と述べている(フロイト「マゾヒズムの経済論的問題」)。
この視点は、マゾヒズムをサディズムからの派生物と見なしてきたそれまでのフロイトの考え方とは根本的に異なる。この論文の考察においては「マゾヒズムは三つの異なる姿で登場する」(p.278)。
第一に、「性愛的なマゾヒズム」がある。これはもっとも基本的な形態、言い換えれば一次的マゾヒズム・「根源的なマゾヒズム」である(p.283)。それは端的に言えば、「苦痛の快感」を意味する(p.280)。
あとの二つは、一次的マゾヒズムから派生した「二次的マゾヒズム」である(p.283)。
まず第二は、「女性的なマゾヒズム」であり、これは「もっともありふれたものであり、不明な要素がもっとも少ないもの」だとフロイトは言う(p.278)。ただし、「女性的なマゾヒズム」の具体例としてこの論文で取り上げられているのは、男性個人の実例におけるマゾヒズムなのであるが。〜