うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

明日は搬入と、「ゼロポジション」と、【だがフロイトは自らの従来のマゾヒズム観を振り返って、考え直す必要が出てきたことを認めた上で「マゾヒズムは一次的なものかもしれない」と示唆的に書き直している(p.186)。】

 

f:id:ka-gu:20210225194537j:plain

 アトリエ・カーグ回顧展?の準備が出来ていました!そう言えば明日搬入!

 今日は休みでしたが、自分の受診とかワクチン接種の件で現場から呼び出されて少しだけ現場に行きました。受診待ちで沢山本が読めました。 

 

 下記は「ゼロポジション」にひかれてのアップです。自分はこの体勢で目玉ぐりぐりから発展した(笑)、視床ぐりぐりをしてから寝ています。最近はそれに頸椎と頭蓋骨の接点ぐりぐりを試しています(笑)。が、京都時代に約20年かけて積み上げた肩と首のコリを解すのは至難の業です......。が、(笑)ほんの少しだけ先が見えた気もしています。最初は小胸筋が痛くてぐりぐり出来ませんでしたが最近は全く痛みもなくできているし、木のようでしたが荒いながらも繊維が解れてきているのが分かるようになってきました。まだまだ完治とはいきませんが、諦めずにやります。 

 夜眠るときの理想の体勢は、あお向けです。さらに言うと、枕を使わず、両手のひらを上に向けた状態を取れば、「ベストの寝方」になります。この体勢は、「ゼロポジション」というものです。体への余計な負荷がゼロで、骨・関節・全体的な骨格の配列・筋肉・腱など他の組織も含めて「あるべき状態」になっているので、全身のあらゆる健康面で有益なものとされています。体にとって最も無理のない楽な状態なので、関節疲労も自然と癒されていきます。

f:id:ka-gu:20210225194514j:plain


  しばらく精神分析自閉症が続きますが、この本の著者のお子さんが自閉症であるのが本の最後に書かれてありました。だから社会学自閉症だったのですね!社会学者さんがこんなに精神分析や哲学や脳科学を深堀しているのはびっくりしましたが、最後を読ませて頂いて納得してしまいました。読ませて頂いている途中にふと、村上靖彦先生の『自閉症現象学』を本棚からでして来てしまったのも偶然ではなかったですね。引用されていました。アンナ・フロイトよりも誰よりもフロイトの継承者はメラニー・クラインだともこの本では出てきていますし、自閉症に対して親和性があるような記述もありました。自分が現場での支援方法を考える軸として、対象関係論を選んだのも、何かを感じたからだと強く確信させてくれた本でもあります。

 マルクスの研究ノートのように、フロイトの心理学草案が残したものの大きさが分かるような気がしています。フロイトを批判されている方々はきちんとフロイトを読まれたのか?と下記を読んでまた思ってしまいます。最先端の脳科学でさえ心理学草案に触れていると言うのに.......。

 〜命は、発展のすべての迂回路を経ながら、生命体がかつて捨て去った状態に復帰しようと努力しているに違いない」と言う(フロイト「快感原則の彼岸」、p.162)。

 命体がかつて捨て去った状態」とは、未だに生きていない状態すなわち死である。したがって生命体は、死の状態を目指すというわけである。ちょうど鮭が生まれ故郷の川を目指すように。

 かしながら、このような定義だけで収まりのつくような概念ではないことは、フロイト自身がこの概念に何らかの形を与えようとして試行錯誤を行ったことからも窺われる。

 

 のような試行錯誤の一環としてフロイトは、「変形された形ではあるが、死の欲動の実例を示すという課題」に取り組み、その際にサディズムマゾヒズムのことを取り上げている(p.185)。

 まり、「超自我」と同時に「死の欲動」もまた、マゾヒズムと関わっているのである。結局、それらの試行錯誤は明確な結論に至ることなく、曖昧なままで終わった。

 フロイトは自らの従来のマゾヒズム観を振り返って、考え直す必要が出てきたことを認めた上で「マゾヒズムは一次的なものかもしれない」と示唆的に書き直している(p.186)。

 ゾヒズムは単にサディズムからの派生物ではないかもしれないとの予感が、ここには漂っている。このようにしてマゾヒズム観の根本的な転換が兆し始めるのであるが、まだマゾヒズムを正面に据えて論じるには至っていない。