またまたきれいな月と、ちょっとだけドライブと、政府、緊急事態の追加解除を検討 栃木に続き、感染や病床率見極めと、【ヴァレリーによれば、いまや「ひとは眺め、もはや読まない」(CI.1183)時代である。これは「ポスターや新聞」などの情報媒体によって引き起こされた変化であり、ヴァレリーが「電報主義(ièlègrahisme)」とも呼ぶ、瞬時にその内容を理解しうる「速さ」を至上の価値とするような傾向である。】
毎日同じような写真を写しています(笑)。今日は休みでしたが、色々あり早朝に出勤しました。管理者まで来られていたので、びっくりしました。でも、皆さんのチームワークは素晴らしかったです! ありがとうございました!
今日は休みでしたので、少しだけ日常を忘れるためにドライブ!しだれ梅がきれいでした!
SDGsは大衆のアヘン!と、自分も思いますが、こんなに小さく可愛く意思表示されていたら、何となく何となく(笑).........。
下記は、この地域の感染者数を見える化し、職員やご家族にきちんとした対応の必要性をご理解していただいています。この地域では1月26日前後に多くの感染者が出ましたので、2月9日前後がその2週間後なので、そこで一つの判断が下せると思っています。
感染者が減っても、病床などの問題もありますね.......。
より経済学に近づいてきました。
ヴァレリーによれば、いまや「ひとは眺め、もはや読まない」(CI.1183)時代である。は、現代においてはより顕著になっていますね........。でも、商業ベースに乗せるには変わって行かないといけませんね.......。中々人は固定概念から離れられないし、絵を目で見るより、耳で見ると岡倉天心先生の時代でも言われていましたが、そちらもより顕著に.......。日々何も変わらず生活出来ていることが、どれだけ周囲の方々の努力に支えられているのか?それがなくならない限り、水や空気のように当たり前にあると思ってしまっていますね........。
〜ヴァレリーにとって「紙のうえに書かれた詩はひとつの書き物にすぎない」(ibid ,)。
詩を消費する行為とは、まずもって「詩を読む」こと、それも「声に出して読む」ということである。
「ひとつの詩は、在る声と、やってくることと、やってこなければならない声とのあいだの、連続的なつながりを要求し、またそれを駆り立てる、ひとつの発話である」(ibid ,)。
紙の上の詩はいわば音楽でいうところの楽譜であり、それは演奏=朗読の仕方を指定する、行為の指示表のようなものであると「詩の意味作用は、詩に特徴的な音韻上の制度を定義する間や障害物、強弱やアクセントがこめられたその速度を持つ話し方に従う」(CI.212)。〜
〜ヴァレリーによれば、いまや「ひとは眺め、もはや読まない」(CI.1183)時代である。これは「ポスターや新聞」などの情報媒体によって引き起こされた変化であり、ヴァレリーが「電報主義(ièlègrahisme)」とも呼ぶ、瞬時にその内容を理解しうる「速さ」を至上の価値とするような傾向である。
「統辞法や語の選択、音楽」は無視され、空間的に配置された数語を「眺める」ことで、じっくりと「読む」ことに替えてしまうのである(ibid ,)。
「朗読」は、瞬時の「眺め」に対する抵抗としての「遅さ」でもあった。だからこそ、「暗謡」は禁止されなければならない(EI,1350)。
ヴァレリーの時代やとって、朗読はその重要性をことさらに主張されねばならない行為だったのである。