うたたねの様子と,ピアノマンと、 こころの未来24号と、【「動詞は諸言語の不思議である。それは魂を与える(anime)。動詞は、自然のただなかに、事物ー語および感覚ー語のただなかに、個人を置く」(C1,402-403)。動詞のもつこうした「身体を要求する性質」は、言語の起源と深くむすびついている、とヴァレリーは考える。】
アップが遅れてしまいました。こちらは一昨日のうたたねです!
こちらは昨日のうたたね!宣言が解除されるまで、日中の活動は中止されるのを選択された方々には、屋外のアクティビティや
すろーの湯に行ったりしています。
NHKの番組でピアノマンが流れていて、久しぶりにじっくり聞きたくなってYouTubeで聞いてみました。高校生の時に一時はまっていました(笑)。良い曲ですね!
www.youtube.com
下記がNHKのものです。
https://www.youtube.com/watch?v=h2wXncSuFBk&feature=youtu.be
こころの未来24号が出ましたね。
http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2020/12/kokoronomirai24-300x213.jpg
動詞をここまで真剣に見つめたことがなかったので、新鮮で勉強になりました。『動詞のもつこうした「身体を要求する性質」は、言語の起源と深くむすびついている、とヴァレリーは考える。』
動詞を含んだ詩を朗読すると言うことで身体が動かされると言うことなのでしょうか?奥が深すぎて自分には手が負えません......。
〜むしろ、動詞はそのうちにある欠如を抱えているからこそ、必要なものを要求するのだとヴァレリーは考える。「動詞は要求する語のひとつであるーーイオン化された語ー身体を奪われている語」(C1,433)。動詞すなわち動作を表す語は、それじたい動作の主体=身体をもたないため、身体を要求する。
「動詞は諸言語の不思議である。それは魂を与える(anime)。動詞は、自然のただなかに、事物ー語および感覚ー語のただなかに、個人を置く」(C1,402-403)。動詞のもつこうした「身体を要求する性質」は、言語の起源と深くむすびついている、とヴァレリーは考える。〜