キレイな空と、今日のうたたねと、アール・ブリュット展と、資本主義にいかに倫理を導入するか――中谷 巌(「不識塾」塾長)【佐藤優の頂上対決】と、【目には見えないが身体の能力に関わるような行為、それが《純粋な》詩の促す行為である。】
今日はシフトが変更されていたのをすっかり忘れて(笑)、日勤で出勤してしまいましたが、きれいな空に助けられました。毎日空がきれいですね!
今日のうたたねは、音楽の力で!皆さん盛り上がりました!音楽やアートには不思議な力が宿っていますね!言葉には出来ない何かが!
親分が桜ケ丘ミュージアムで開催されているアールブリュット展を見てきたようです。入賞した上記の2つはやはり言葉には出来ない力がありますね!
下記のニュースも少し前のものですが、考えさせられましたし、大学院の勉強の復習にもなりました。
一昨年秋、世界中の数百という占い師に、翌年に何が起きるか占ってもらったら、疫病が流行ると言う人は一人もいなかったそうです。占い師に予言能力があるかどうかはともかく、やっぱり人類の歴史は思いがけないことの連続で、その予測しない事態にどんな対応をしてきたかで歴史ができている。マーケット万能主義の決定的欠陥は、人間は何でも計算して予想を立てて対応できると考えていることです。
目には見えないが身体の能力に関わるような行為、それが《純粋な》詩の促す行為である。は、上記のアールブリュットの作品にも言えることですね。
法人の理事に、しっかりとした方を迎え入れようと、親分が頑張り始めていますが、しっかりとされた方はそれなりの美学を持っておられていて、断られてもその言葉を聞くだけでも、学習にも勇気を与えてくれることにもなり得ます。ヴァレリーが言うところの「装置」を持っているかのように!
〜ヴァレリーの詩のプログラムにおいて読者が行う「行為」とは、単なる能動的な行為とは異なる。それは「装置」によって促された能動性であり、ある種の「拘束」を、「捕虜状態」を伴う能動性である。
逆に言えば、そのような受動と能動の境界が曖昧になるような次元においてようやく、「能力の価値の開拓」ということは起こりうるのだ。
「私たちが私たちの自由を作品に譲り渡す代償として、作品はそれが私たちに課す捕虜状態への愛と、直接認識に伴うある種甘美な感情を私たちに与えてくれる」(ibid .)。
そのとき、「行為」は完全なものとなる。「詩は私たちの運動機能のより豊かな領域において展開され、それは私たちに完全な行動により近い参加を要求するのである」(E1,1375)。
ここでいう「完全な行動」が、もはや朗読のような目に見えるそれとしては語りえない次元を含んでいるのは明らかだろう。目には見えないが身体の能力に関わるような行為、それが《純粋な》詩の促す行為である。〜