今日は、シフトの変更があり、遅番になりました。朝、少し覗かせて頂いてから自宅待機してました。
午後からは男子だけ、すろーの湯に行きました! 一人ずつ大きなお風呂は、この状況下仕方がありませんが、贅沢ですね!羨ましい!
夕食後は皆さんそれぞれに!
りえさんは、元美容師さんにカットしてもらってました。さすがにキレイになっていました!
朝、出勤しようと思ったら雪が……。寒かったですからね。
親分は相変わらず、展示の準備。おかもっちゃんのは、やっぱり凄すぎ!
自宅待機になり、流通論の1年次の最終レポートをやりましたが、調べれば調べるほど色んなことが頭をよぎり、ラストマイルとサービス経済化に変更しょうか?と、悩み始めてしまっています。既に指定の字数の半分は越しましたので、そのまま行こうか(笑)? 経済学とか商学とか、福祉に関係ないと思っていましたが、やはり全てのものは、どこかで繋がっているんですね。
色々ありましたが、帰りにキレイなお月様が見れたのは、ご褒美だと(笑)、勝手に思い込み(笑)、帰宅しました。
下記のニュースにはびっくりしました! SNS恐るべし!
ソーシャルイノベーション論の期末レポートで、強度行動障害をお持ちの方の支援方法の拡散を提出しましたが、最終的にどのような方法でソーシャルアウトするのか?のところで、その一つにSNSを入れていたので、あながち間違いではなかったですね(笑)。若い方々には当たり前のことなのでしょうか?
今回から、今読ませて頂いている本に入ります。しかし、難しいです! でも結局経済学とか商学に結びついている箇所があり、先生へのメールにヴァレリーを使わせて頂きました。今回はその箇所ではありませんが、先日、NHKでやっていた、花は花は花は咲くの映像監督さんが、歌ではなく朗読にした!と言っていたのは、ヴァレリーの影響かも?と、これまた勝手に思っていました(笑)。
ヴァレリーと芸術と身体の哲学
伊藤亜沙著
序ー創造後の創造
〜この世代を代表する研究者であるセルジュ・ブルジャが、その著書『ポール・ヴァレリーーエクリチュールの主体』の中で、「口耳(Bouchoreille)」という、あまりにもデリダ的なヴァレリーの造語を用いながら、書くことに伴うこの自我の二重化ないし分裂について論じているのはその典型である。
言葉を使用するという行為が不可避的に顕在化させる主体の分裂は、身体を場として起こるものだが、しかし他方で身体こそが、変化するものの基盤にある不変の物体として、わたしの存在をひとつにまとめるものでもあるのだ。〜