うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日のうたたねと、「お母さん、ごめんなさい」と、密着・コロナ重症者病棟 “現実に心が追いつかない”と、【精神を独立した実在として扱うことは、ボームによれば、世界が具体的にどうあるかについての知識ではなく、洞察の一形式、つまり世界の一つの見方にすぎない。】

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   自分もそうですが、スギ花粉が出てきたので、散歩は今日は中止にしました。くしゃみや咳はこの状況下、簡単に出来なくなりましたね........。

 

 農産物の集荷場に観光バスで中国の方が団体で来られていたのは、きちんとしたEPAなのでしょうか?下記のようなニュースをみると、やはりSDGsはまやかしにしか思えませんね.........。


 下記は、福祉の現場でも、自分もそのような状態です.......。でも、出来る限りのことはしたし、しているので、それでダメだったら諦めも付きますね(笑)。本気出して支援と勉強をさせて頂いているので、(今までもそうでしたので)いつダメになっても、死んでも悔いはありません。


 最近、特に思うのですが、小池知事がカタカナばかり使って全く分からない!と批判するなら、自分でその言葉を調べて勉強させて頂いていると思えないのだろうか?ということです。

 なんか皆んな被害者みたいになって、思考しているようにしか思えませんね……。議論しようとしても、責められているとか言われてしまうと、何も前に進みません……。自分自身はまだまだ知識も経験も少ないので、必死に世間についていこうと、勉強し続けています。

 下記は難しいですね。つまり世界の一つの見方にすぎないは、自分自身の思考も

一つの見方にすぎないので、それをとりあえず提示して、議論をしたいだけなのに、斜に構えられると、何も提示出来なくなってしまいます。

 

 〜ボームは次のようにも言う。

 片化が、人びとの意志や欲望から独立した自律的な存在であるかのように受け入れられることになる。そのため、断片化をもたらしたのは、断片化世界観に従って行為している自分自身なのだ、という事実が見過ごされてしまうのである。(前掲書、ニ六頁)

 では全体性から断片化して思考対象とし、それを扱うのが、科学的思考を頼みにする人間であるという事実がきれいさっぱり忘れ去られている。

 神を独立した実在として扱うことは、ボームによれば、世界が具体的にどうあるかについての知識ではなく、洞察の一形式、つまり世界の一つの見方にすぎない(前掲書、ニ六頁)。

 片化思考に基づいた精神医学上の処置がとられていたならば、あの時、イドリスが翌朝に身体的・精神的にすっかりと本復したような劇的な解決には到底至らなかったであろう。