うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

初氷?と、今日のうたたねと、全テナント撤退の尾道駅 最後の土産店も終了と、アフターコロナのお金論「PL思考とBS思考」ABCash児玉隆洋と、【個人には、ある程度のノイローゼは不可避であると考えられ、「断片化の『通常の』限界を超えた人びとは、偏執病や精神分裂病などの精神病者とされている」】

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 今日出勤しようとしたら、車のフロントガラスが凍っていました! 道路の日陰にも氷が張っていたと、女性職員さんが言っていたので、送迎時に見たら本当に張っていました。初氷でしょうか?自分が鈍感なだけで(笑)、気が付いていないだけかもしれません。



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 午前中は、衣笠林道を皆さんと歩きましたが、段々暖かくなり、ひと汗かきました!

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 山茶花はまだ咲いていましたが、花弁が全く落ちていませんでした。風で吹き飛んだのでしょうか?

   午後からは、男子だけすろーの湯に行きました!

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 下記はびっくりしました。1年前くらいに行き、感じが良かった駅でしたので、本当に残念ですね。コメントにもあるように、今は我慢の時!自分たちも色々な選択を迫られていますが、みんなで知恵を集めて何とか乗り切るしかないですね! 中核となる職員さん達と、今日も色々考え方針を共有しました。今まであいまいで良かったものが、あいまいではいけなくなって来たり、全く通用しなくなったり、ニューノーマルにどう対処して、壊れた箇所をどういう風に回復させて行くのか? この状況下、自分にとって未来は予測不可能ですが、今までのことを全て「」に入れて考えさせて頂けると思えば、感謝すら感じます。ガキの頃から逆境ばかり(笑)でしたので。


 下記は、個人的な復習を兼ねてのアップです(笑)。当法人の第3四半期の結果がもう直ぐ出るので、残りの第4四半期に向けての予算等の振り分けが、自ずと決まります。コロナ禍で忙しかった反面、人件費もかさんでいたので、第2四半期は何とかやり過ごすことができましたし、第1四半期は優良でしたので、まだその分は上積みがあるので、今期も何とかなりそうですが、来期からは新しい事業も開始するので、ポートフォリオを整理する必要がありそうです。


  全体性を取り戻すというのは、理屈では理解出来ますが、いざ現場に出てみると、非常に難しいことです。自分の支援方法の軸は、対象関係論で言うところの、妄想ー分裂ポジションから、きちんとした抑うつポジションに着地させるということです。それが自分が思う全体性を取り戻すことになります。実際それで強度行動障害をお持ちの方々を安定した生活へと向けることができました。でも、エビデンスは1人ひとり違うので、1言では言い表すことは出来ませんし、したとしたら、1日では終わらないと思われます。

 断片化は決して悪いことばかりではないと思います。断片化しないとやり過ごせない時も、一つのことを長くやり続けたり、長生きしていたら多々ありますよね?

 

生の全体性を取り戻す
奥野克己
 〜語の「健康(health)」の語源が「全体」を意味する「hale」であることを踏まえれば(D・ボーム『全体性と内臓秩序』井上忠・伊藤惣康・佐野正博訳、青土社、一九八六年、ニ七頁)、「全体性=健康」が失われたのだと言うことができるだろう。

 子力学者デヴィッド・ボームの言葉を借りれば、全体性が失われ、世界が「断片化」してしまったのである。 

 ームは、この断片化した人間を、科学は独自の偏った世界観に基づいて扱ってきたのだと批判する。「運動と披き出しの終わりない過程」(前掲書、一ニ頁)である全体性から断片化された個人が究明の対象とされ、処置されることになる。

 人には、ある程度のノイローゼは不可避であると考えられ、「断片化の『通常の』限界を超えた人びとは、偏執病や精神分裂病などの精神病者とされている」(前掲書、ニ五頁)。

 神医学という科学では、全体性から切り離され断片化され、自律的な存在となった「個人」が、その人間としての全体性ではなく、「精神」へとさらに断片化され、再断片化された精神が自律的な存在として扱われる。