うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

本が来ましたと、コロナのニュースと、少ない台風とラニーニャの発生と、【 つまり日本思想史はいろいろと変わるけれども、にもかかわらず一貫した云々ーーというのではなくて、逆にある種の思考、発想のパターンがあるゆえにめまぐるしく変わる、という事です。】

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 本が来ました。もう少しで夏休みになりますが、課題が2つあります。1つは取りかかっていますが、もう1つは先程急に出ました(笑)。何があるか分からないので、とりあえずやり始めます。
  宇沢先生にはまってしまいました。

 

 コロナが拡大してきましたね.......。渥美半島は、名古屋よりも浜松に近いので、浜松の方が気になりますね......。

 

 台風が少ないと言っても、これだけ豪雨が続くと、台風よりも脅威ですね.......。

 いつになったら、気を休めることが出来るのか?ため息ばかりの毎日です.....。

 

 

 アップは、昨日の続きです。日本には柔軟性があると言うことですね!

(6)
 きに「特殊性」の強調ということについての誤解ーー少なくとも私からみての誤解についてのべ、日本文化の「個体性」・「個性」という言葉に代えたい理由を申し上げましたが、右にあげました「古層」にせよ、あるいは「バッソ・オスティナート」にせよ、私としてはもうひとつ弁明しておかねばならぬ方法論上の問題があります。

  れは連続性と非連続性、もしくは恒常性と変化性という問題です。これは以上の私の話を詳しく辿られればあらためて論ずる必要がないようにも思われますが、念のために申し上げますと、右のような考え方には、非連続にもかかわらず連続性があるーーあるいは大いに変化するにもかかわらず、変化しないコンスタントな要素がある、というように両方の契機を対立ないし矛盾するものと前提して論じているのではない、ということです。

  むしろそういう「にもかかわらず」という形で、つまり恒常性と変化性とを二項対立としてとらえたのでは、「バッソ・オスティナート」などとわざわざ強調する意味がなくなってしまうのです。

  私がいいたいのは、変化する要素もあるが、他方恒常的要素もある、とか、断絶面もあるが、にもかかわらず連続面もある、というのではなく、まさに変化するその変化の仕方というか、変化のパターン自身に何度も繰り返される音型がある、といいたいのです。

 まり日本思想史はいろいろと変わるけれども、にもかかわらず一貫した云々ーーというのではなくて、逆にある種の思考、発想のパターンがあるゆえにめまぐるしく変わる、という事です。