うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

神戸館チャリティーバザーとリンゴと散歩と、歴史とトラウマと、定まっている未来と、【 しかし、歴史的危機の中で「恒常性」を危険な幻想によって求め、悲惨な歴史的事態を引き起こした事例は多くあった。多くの先進国で、民主主義を否定するような極右が台頭し始めている今、その求め方こそが重要だろう。】

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 今年も年末チャリティーバザーをして頂けることになり、感謝しています。皆様から沢山物品も頂き重ねて感謝です!本当にありがとうございます。

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 職員さんが沢山リンゴをくれ、他の職員さんがドライリンゴ?を作ってくれました。素材そのままとのことでしたが、甘くておいしかったです。リンゴも勿論おいしかったです!

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 久しぶりに散歩の支援に!一番好きな支援ですが人気があり、中々順番が回ってきません!


  樫村先生が引用されていた本を購入して読み始めました。21年前に出版された本ですが、内容は古さを感じるどころか益々ひどくなってきているのではないのか?
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 〜また、昨今の若者たちが、ナイフをもって不特定多数の相手に向かって突進していく様子を見ていると、言葉の習得という点で、何らかの問題がそこに隠れているように思えて仕方がない。日常生活を営むための言語は一応習得しているにしても、現代社会と教育制度に搦め(からめ)囚われた自己の体験を表現する言葉を、彼らは習得しそこなっているのではあるまいか?そのため、心に受けたトラウマを言語記号に移し替えて表現することが出来ぬまま、心に溜まった激情を声にのせて発したいという思いが抑えられなくなることがある。そして、その衝動が、声帯ではなく、手や腕や体全体の運動神経に刺激として伝わり、彼らに引き金を引かせ、ナイフを突き立てさせたと考えることはできないだろうか?「恐ろしいこと」は、言語を遣うという人間本来の活動の中に充満しているのである。

 

 下記は、流通論時に参考にさせて頂いたものの、一つですが時々覗かせて頂いています。ポストコロナやSDGsを視野に入れないと新たな社会の構築は難しいですが、SDGsに関してはやりすぎている気もします。太陽光発電の大量生産は現在のところは化石燃料を以前よりもまして使用しないといけないのに、表面だけ良ければいいのか?と思ってしまいます。

重要なことはやりきること

カーボンによる地球温暖化も、プラスチックによる環境負荷も、再生可能エネルギーのライフサイクルも、異論・反論が多く出されている。極端に言えば「すべて陰謀だ」という指摘すらある。

そのため「やらない理由」は、いくらでも立てることができる。

しかしながら、コロナ禍におけるワクチン議論が示すように、大きな流れの中で生じる様々な異論は、基本的にノイジー・マイノリティの言説であり、実態が変わっていくことで、いずれ、サイレント・マジョリティが考える世界へと収束していくことになる。

いろいろな時系列的な変化から、玉突き的に起こっていく事象を展望し、いち早く変化に対応する取り組みを展開していく…。

ポスト・コロナにおいて求められるのは、そうした視野と視点であると考える。

 

 樫村先生の引用の存在がなくなるくらい前置きが長くなりました。まだ序の口で内容が分かりにくいかもしれませんが、もうすこし読み続けて頂ければと思っています。

 自分は左にも右にも寄りすぎるのは嫌だし、そんな方とはお付き合いはしません。

 〜「常性」を求めて、伝統に回帰しようとする方法が、同時に民主主義的な価値や人権など、これまでの近代的な文化的財産を解体しかかっても、それが十分に批判されないのは、「恒常性」の解体の方が民主主義の解体より危機的なものとして受け取られているからだろう。

 かし、歴史的危機の中で「恒常性」を危険な幻想によって求め、悲惨な歴史的事態を引き起こした事例は多くあった。多くの先進国で、民主主義を否定するような極右が台頭し始めている今、その求め方こそが重要だろう。