ハンス・ウルリッヒ・オブリスト、新型コロナ危機で数億円規模のパブリック・アート・プロジェクトを呼びかけと、ハンス・ウルリッヒ・オブリストが提唱する「新しいニューディール政策」。新たな社会的想像力の時代に向けてと、スマホしか持たない学生とパソコンを使う学生「無視できない学力差」/佐藤優と、【「いかに生きるのか」というテーマに取り組むためには、人間を第三者的・観察者的立場からみるのではなく、それらの人間の生きる営みのなかに自身を入れ込んでいかなくてはならない。】
梅雨の晴れ間に、金曜日の散歩が出来たと写メが送られてきました。コロナは気温や湿度には関係ないことが分かりましたね。秋から冬にかけてどうなっていくのでしょうか?
夜も楽しそうな写メが送られてきました。
下記は、ニューディール政策を調べなおしていたら、引っ掛かってきた記事です。上の方の記事は、勉強になりましたし、レポートでも使えますね!
下記は、大学の先生たちがこの状況下、一番苦労されているのではないでしょうか?メールのやりかたを教えないといけないって、先生たちが遅れているのか、生徒たちが便利になりすぎているのか?スマホで何でもできるって言われて久しい気もしますが、仕事するなら、ディスクトップの方がやりやすいと言うのは、年のせいでしょうか?
今日も講義があるので、早めにアップさせて頂きます。講義は金森先生と慶応大学の同級生の白河桃子さんです。
皆藤先生の言葉ですが、ますます深く、重くなってきましたね。でも、避けて通れないことだし、ユングの言葉を借りれば、避けて通ってもいつかまた出てくることかもしれませんね......。
おわりに
~また、従来の発達論に固執することは、現代人が抱える影を先鋭化させる危険性をも秘めていると筆者は考えている。
この点については本章の後半に具体的に述べたが、「いかに生きるのか」というテーマに取り組むためには、人間を第三者的・観察者的立場からみるのではなく、それらの人間の生きる営みのなかに自身を入れ込んでいかなくてはならない。
それは、人間を操作的に扱ったり、概念化することとは異なる作業なのである。こうした意味での従来の発達論の捉え直しが必要ではないか、と筆者は考える。~