うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アーティーチョークと、ブドウと、【 筆者が主張したいのは、現代を生きる個々が、現代という時代とのかかわりのなかで、みずからが、新たな生命力すなわち現代を生きる創造性を探求していく必要があるのではないかということである。】

 

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 今日も早番!ひと段落してから、送迎とドライブに行きました!ちょっとアティーチョクが気になって見に行ったら、画題としてはいい感じでした!女性職員に写真を送ったら、もう食べられない......って(笑)。

 

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 芦が池で少し休憩して戻りました!

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  途中、トイレ休憩で立ち寄ったすろーじゃむのブドウが結実していました!こんなに花が咲いたのは初めてなので、摘果するのが惜しくて悩みますね.........。

 

 皆藤先生からの引用です。

 創造性の探求!正しく自分たちが必要なことですね!

 主体がおぼろげな方が、全く主体をなくされ、誰かを、何かを依り代にしないといけなくなったときは、見ていて辛いですね。でも、それをフォローさせて頂くのが、自分たちの仕事です。「いかに生きるか」を、その方と一緒に思い出し、見つけることから始めます。
 ~代人は、いかに神話のなかに生きる知を見出だしたとしても、もはや神話そのものを生きることはできないのである。

 者が主張したいのは、現代を生きる個々が、現代という時代とのかかわりのなかで、みずからが、新たな生命力すなわち現代を生きる創造性を探求していく必要があるのではないかということである。

 この意味で、「いかに生きるのか」は創造性の探求ということができる。

 れに関連して、河合が「われわれの人生そのものがひとつの創造過程である」と述べているのは、きわめて意味深いと思われる。