うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

シデコブシと、相模原事件で死刑判決と、【後者での対象との同一化は非常に徹底的なものなので、もともとあった自己という感覚はほとんど完全に失われてしまう。】

 

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 昨日、すろーじゃむの湯の帰りに、急になんとなく(笑)シデコブシが咲き始めているのでは?と思い、藤七原に皆さんと見に行ったら、咲きそうでした!中までは行けませんでしたので、全容は分かりませんが、明日あたり開花してそうですね。桜のつぼみは固そうでしたが、今年は気候が例年通りではないので、何が何だか?よくわかりません。

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 初立池の菖蒲園では、葉が出てきていました!今年は、いつの間にか春ですね。

 

 今日は、仕事をしながらも相模原の裁判が気になっていました。相模原市の大学院に4月から通わせて頂くきっかけにもなった事件でもありました。遅番で介助が必要な方も多くて、皆さんが見ておられたテレビのテロップでの速報でしか見ることが出来ず、帰宅して直ぐにネットのニュースを色々と開き、先ほど見させていただきました。

 勿論、やってしまったことは本当にダメなことですが(彼を擁護しようとは思えませんし)、個人的には、このニュースの中にある、育てないといけないと言う言葉や、最初は思いやりがあるように見えていたとの言葉を繋ぐと、やはり投影されて、それを自分でうまく処理できず(幼少時代のことを知りたいと言っておられた方が以前のニュースでありましたが)、原初的な破壊衝動という行動化になってしまったと思われます。優しいだけでは福祉は出来ませんし、本当に精神分析や臨床心理学を真剣に学んだり、学ぼうとされている方が周囲にいなかったのも、そのような不幸を生み出した一因でもあるのではないか?とも思います。

 健康面での介入は、分かりやすくて、自分自身も実感があるので、仕事をした感がありますが、メンタルな面では、真摯に向き合うほど、心底疲れてしまうので、自分は仕事以外では、向き合いたくはないです。サリヴァンが、結果を残している精神科医は、仕事を生活の糧としてやっている医師だと述べていました。自分の存在が欲しいのなら、仕事(本気になって仕事もすれば、周囲も認めてくれるので、ある面存在が出来ますが、中途半端だと無理ですね)ではなく、何かを探すべきだと思います。


 今日もオグデンからですが、本気で理解しようとしないと、頭に入らない個所でもあります。ここまで記述できるのは、本当に臨床・現場に真摯に向かわれたからだとも思います。どんな仕事でも、真摯に向かおうとすると、楽な仕事はありません。

 先日も書かせて頂きましたが、自分の無意識に気づけないなら、人様の無意識になんか、さらさら感じることが出来ないと思われます。福祉の現場も、無意識に気づけて初めて一人前と言えるのではないでしょうか?美辞麗句を並べているだけでは、何も解決しないでしょう。

 ~らに私が提起するのは、内的対象は、意味と体験を生成しうる、すなわち思考、感情、知覚を生成しうる、自我の力動的で無意識的な下部組織と考えられる、ということである。これらの下部組織はたがいの無意識的関係にかかわり、

 

(1)自我の自己-下部組織(すなわち、個人がそのなかでより十分に思考と感情を自分自身のものとして体験する自我の諸側面)


(2)自我の対象-下部組織(それをとおして、自我のある側面が対象と同一化することにもとづく様式。意味が生成される)の両者を含んでいる。

 

 者での対象との同一化は非常に徹底的なものなので、もともとあった自己という感覚はほとんど完全に失われてしまう。

 内的対象関係に関するこの概念化は自己の表象と対象関係表象という古典的な考えかた(Hartmann,1964;Jacobson,1964;Rosenblatt,1962を参照)を十分越えるものである。

 こで提起されているのは、自我が部分的に分割されているということである。

 割されたそれぞれの部分は、早期対象関係体験における対象についての感覚、または同じ早期対象関係における自分自身についての体験のいずれかをモデルにした様式で、体験を生成できる。

 我のそのふたつの部分は結びついたままであり、抑圧されたときには無意識的な内的対象関係をかたちづくる。