今日は、賑やかな日中で、近くのすき家さんに外食に出かけました。インフルエンザ等まだまだ収束する気配がないので、勿論アルコール持参で!
1台の車では移動は無理でしたので、帰りは食事に時間が必要な方と一緒に帰る途中に、池之原にお薄を頂きに行きました。
利恵さんが急に笑いだされたので
よく見ると、お多福さんの顔がお茶碗の中に見えました。
たくちゃんは、慣れた手付きで淡々と飲まれていましたが、
利恵さんにつられて、一緒に笑いだされました。梅も咲き始め、もう2月ですね!
1月は忙しかったので、2月はゆっくりしたいと思いながら(笑)、自分でまた忙しくしてしまうのでしょうか? 貧困家庭でしたので、仕事があるだけでも幸せです。
やっと、ラッカーの『転移と逆転移』の終わりが見えて来ましたが、最後の方になるにしたがって、重要度が増して来ました。まとめと言えばそうなのかも知れませんが、単なるまとめではないように感じます。精神分析の核心をついている気がします。それでもオワコン扱いされるのでしょうかね?ソンタグは暴力が人を物にしてしまうと言ってましたが、最近は権威が人を物にしている気もしています。精神分析が全てでないように、脳科学も全てではありません。ただ、速効性やエビデンスが重視されてしまう時代には、科学的な方が説得力がるのも否めません。まだ、自分が若い頃に音楽をやっていた時に、プロのJAZZベーシストに最近の若い奴はエイトビートのほんまの間を知らないし、待てないと言われたことがありました。今この歳になり理解できるようになりましたが、時代時代の流行りもあるので、何がほんまなのか?は、個人的な趣味やその時の自分の心の状態で選べば良いと思います。
話が逸れましたが、結局はその方に一番合うやり方を探し当てるのが自分たちの一番の仕事のような気もします。
7.精神分析技法と分析医の無意識的マゾヒズム
精神分析学でいう治癒とは、患者の精神構造の統合を確立することにあるからつまり、自我異質的ego-elienであった部分の大半が、実は自我のものであったことが認められるか、あるいは自我に再統合されるかせねばならないのである。
この統合を成し遂げるために、分析医はその逆転移の中で自分自身の統合ことに患者が拒絶し分裂させている患者の部分と分析医自身との統合をはたさねばならない。
このような分析医の能力は、分析医が自分自身のどの部分を患者の中にみていたのか、あるいはみているのか、ということを認識できる程度に応じて発揮できるのである。〜