今日の散歩と、満月と、【生気情動は、ある行動がいかにおこなわれるかに関係しており、どんな行動が行われるかにかかわっているのではありません】
今日も二階建てレストランバスが来ていて、カメラが回っているようで、その時だけ、二人で椅子に座って待ちました。
今日は、個人的にも沢山歩き、23,317歩、673Kcalでした!痩せるかな?(笑)
入浴介助を終えて、帰宅してすぐに、ひーひー王子の散歩に出たら、きれいな満月でした!
が、自分の携帯では、きれいに写らないのを知りながらも(笑)、衝動には勝てず(笑)、写してしまいました.....。
今日も本を、早めに出てファミマで読みました。
アップは、スターンです。情動調律についてもっと知りたいな、って思っています。もう少しスターンやコフート周辺のものを読まないといけませんね。ベティ・ジョセフを読み終えたら(クライン派もビオンを読み直したいと思っていますが.....)、その周辺を読みます。
下記は、支援にも言えますね。
『生気情動は、ある行動がいかにおこなわれるかに関係しており、どんな行動が行われるかにかかわっているのではありません』
力動的は原因・結果の連続性とするならば、刺激・反応の連続性の(「条件付けられた反射」と「オペラント学習」)
(オペラント学習付けとは、「行動の動機を学習させること」)行動療法とどうちがうのか?と少し前から思ってしまって、中々抜け出せなくなっています(笑)。が、自分が支援させて頂いている方々に一番合うやり方(ミックスになっても)にアレンジするしかその方に合うということにはならないので、ただただ、勉強あるのみです。勿論、現場中心に!
『私たちは生気情動を、自分自身や他者の内部における力動的変化にあるパターン化された変化として体験します。』
どんな内的状態に対し調律が起こるのか
調律は悲しみとか喜びなどの不連続なカテゴリー性の情動にも、爆発、消衰などの生気情動にも起こりますが、大部分は生気情動に伴って起こるようです。 第3章で、生気情動を次のようなものとして同定しました。生物と無生物を区別し、かつ生きているという有機的過程における感じ状態の束の間の変化に対応する力動的で力学的な感情特性。私たちは生気情動を、自分自身や他者の内部における力動的変化にあるパターン化された変化として体験します。この本で、生気情動をそれ自体独立した単位とし、かつ情動カテゴリーとか活性化と言われるものとあえて区別したのは、調律を理解するにあたり、生気情動こそその本質であるからです。〜
〜生気情動は、ある行動がいかにおこなわれるかに関係しており、どんな行動が行われるかにかかわっているのではありません、ですから、調律行為と関係した主観的内的状態で1つとしての情動カテゴリーばかりではなく生気情動をも考えなければなりません。生気は調律の主題として理想的です。なぜなら、そしては強さや時間といった無様式特性から構成されているからであり。しかもありとあらゆる行動に随伴し、かつ(変化はするものの)常に調律の主題として存在するからですが、調律は、乳児がいかにおもちゃに手を伸ばし、積木をつかみ、足で蹴り、音なの耳を傾けるという感情の内的性質に対してもなされます。生気情動を追跡し、調律することによって、私たちはほぼ連続的に相手の内的体験と思われるものを共有し、その結果、他“共にある”ことができます。これこそまさに感情的につながれているという体験、言い換えれば、他調律し合っているという体験にほかなりません。こうした体験は連続線のように感じられます。それはあらゆる行動において各瞬間に起こっている活性化輪郭を希求し、コミュニオンの糸の切れることがないよう、その活性化輪郭を役立てるのです。