うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

2階建てバスと、【共感覚とは、ある単一感覚が刺激されるとその刺激に対する別の様式に属する感覚も誘発される現象をさします。】


 最近、蔵王山で散歩していたら、2階建てバスをよく見るので、調べてみましたが、2月から3月まで(下記のアドレス)って書いてありました。しかも金曜日から日曜日とのことで、毎週金曜日は、寒い時期と暑い時期は利用させていただいていますが、今日は月曜日ですが....。と思って調べたら、繰り返しになりますが、2月からなので、試験運用でしょうか?
レストランバスってなんか素敵ですね!
http://www.city.tahara.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/006/016/3.jpg






 今日は遅番で、ゆっくり起きて、ひーひー王子の散歩から帰って来たら、少し早めに行って本を読む時間になったので、出勤しました(笑)。コーヒーを頂きながら、ベティ・ジョセフの2冊目に入りました。クラインやビオンの復習もできるので(ワークショップの方も)、しっかりと忘れていたことを思いだすことができて良かったです。
 特に、ビオンの『記憶なく、欲望なく、理解なく』は、いつも頭の片隅に置いておかなければならないものでした。無の境地見ないな感じでしょうか?水島広子さんの、ジャッジメントを手放すことにも通じる気もしました。


 

 アップはスターンにしました。
遅くの帰宅で、頭が回らないので、変な解釈は止めておきます(笑)。





 共感覚synesthesiaという現象をもって感覚の単一性の問題を描写したのは、おそらく心理学者たちが最初だったでしょう。共感覚とは、ある単一感覚が刺激されるとその刺激に対する別の様式に属する感覚も誘発される現象をさします。最もよくみられる共感覚は、“色のついた共感覚”です。特定の音、たとえばトランペットの音は、聴覚に加え視覚的に特定の色彩のイメージ(赤色)を作り出します(Marks 1978総説参照)。とはいえ、共感覚の存在も、感覚の単一性のもつ魅力のほんの一部にすぎません。様式内等価性や相関性の問題は、いつの時代にも知覚を学ぶものの興味を引くところでした。そして心理学者は、最近その古い痕跡を取り上げたのです。この問題はMarksが等価情報学説と言うもののもとに包含されます。等価情報学説とは、感覚が異なってもそれらが与える外的世界に関する情報は単一性のものであるというものです。(Gibbons 1959,1969,1979).Piaget(1954),T.BOWER(1974)などによる理論や研究の多くもこの問題を扱っています。
 治療者にとってこの現象はとても馴染み深いものであるため、ついこれが、重要な知覚についての感情を伝達する当然の方法だと考えてしまいます。たとえば患者が、“私は彼女が私にどうあいさつしてくれるか、とても気がかりで不安でしたが、彼女が話しかけてくれた途端、ちょうど陽が昇ったかのように、私の気持ちは和らぎました”といえば、私たちはすぐさまその言わんとするところを理解します。無様式の情報を交換する基本的能力がなかったら、隠喩が意味をもつはずはありません。 芸術家、中でも詩人にとって、感覚の単一性は当然のことです。詩の多くは、知覚様式−交叉的な類似や隠喩が誰にでもすぐわかるという暗黙の了解なくしては意味をもちません。中でも19世紀フランスにおける象徴主義は詩人の中には、情報の知覚様式−交叉的等価性という事実を作詩過程の基準原理に登用した者もいます。