小さい時から、不思議に思っていたことがありますが、通天閣の電飾は松下幸之助さんがやったと聞いていますが、なぜ?日立なのか?ネットで調べたら分かるのかな?
こちらは、宿がこの風景の目と鼻の先でしたので、夕方と早朝に帰宅する時に写してみました。位置が違いますが、何か違う場所みたいですね!もう少しゆっくりしたかったのですが、自分がいない時に限って、色々あり(笑)、連絡があり慌てて戻りました。昼前には現場に入りました。
行きの高速のサービスエリアにあったCDです!高校生の時に大好きで、文化祭で迷い道をやりました。安心して下さい(笑)、歌は上手い同級生が唄い自分はギターだけでした(笑)。イントロは難しかった記憶がありますが、今はさっぱり思い出せません。ネットで聞けば思い出すでしょうか?三連符が印象的だった様な気がしました。
渡辺真知子さんを聴きながら、今は亡き、ギタリストの松原正樹さんのインタビューでBB・キングの名前を知り、走って祖母の所に行って小遣いをもらって(貧困家庭でしたので、小遣いを親からもらった記憶がありませんw)輸入盤でおそらく海賊版の廉価なライブ・アット・リガールのレコードを買いに行きました。聴いたら、歌は勿論ですが、ギターがまさに歌っていました。ブルースに目覚めた瞬間でした。
新世界でも、自分の曲『BLUESがキコエルのはナゼ?』等を(笑)イヤフォンで聞きましたが、やっぱり街に合いました。ソロで出来るようにアレンジして、人前で歌いたいなと思う、根性がついた(笑)この頃です。
しばらくオグデンが続きます。
よく、黒い誰彼が出て来たとか、今日は白い誰彼とか白黒で、良い悪いを言われる方がいますが、それが決して良い悪いだけの問題ではなくて、分割されるのにはわけがあり、それをきちんと統合させて頂くのも、自分たちの仕事だと思われますし、依存状態から、ウィニコットの言う、一人で居られる能力をつけさせて頂くのも自分たちの仕事ですね。それは、勿論そこにいて安心・安全感が持てると言う事が、絶対的な条件になりますね。それは障がいの有無、関係ないことですが。
ざくっと言いすぎましたね(笑)。個人的に、何度も読み返した箇所でもあります。
分割された対象関係
~このような愛情に満ちた体験の側面と傷つけるような体験の側面(部分対象関係)は、たがいに隔離される。
それは、原始的に組織化されている乳児にとっては、憎んでいる対象を愛することも、愛している対象を憎むこともあまりに危険だからである。そして、乳児は対象に絶対的に依存しているからでもある。
そのかわりに、乳児は、万能的思考、投影、取入れ、否認、理想化、投影同一化を用い、自己と対象の危険にさらす側面をさらされる側面から分離しようと努め、内的対象世界を再編成する。
憎んでいる自己とその憎んでいる対象との関係は、愛している自己とその愛している対象によって愛している自己の側面が内的な危険にさらされていると感じられると、乳児は幻想のなかで自己の危険にさらされている側面を外的対象に投げ込み、危険な対象と自己との距離を創り出そうとする。
投影同一化においては、投影的幻想にともなって対人的過程が構成要素になる。~