ロングビーチと、食べる・飲むと、【憎しみをもつ外的対象や愛されている外的対象を内在化することは、わずかばかりの安全を一時的に確保するだろう。】
昨日は、ホームの方とショートの方で、ロングビーチに行きました。夏ほどは賑ってはいませんでしたが、かえってその方が、ゆっくり出来ました。
食べる・飲むは、この時期は特に重要ですね!
親御さんの不調で、親御さんに合えなくなられた方ができたので、令和初めての年末年始は、うたたねは無休となりました。それでも皆さんが直ぐに動いてくれ、シフトが埋まりました。本当にありがとうございました!インフルエンザのこともあり、年末年始は予定を入れていなくて、インフルエンザも現在は出ていなかったので、熱海にでも行き、温泉に浸かってこようかな?と、思っていただけだったので、良かったです。
忙しいと言う事は、良いことですね!
昨日、帰宅時に空がきれいだったので、安物のガラホで写していたら、ボケてばっかり......。諦めて自転車に乗ろうとしたら、女性職員さんが、写メで自分が撮りたかった空を偶然送ってくれました。やっぱスマホかな?自分のは、光量が少ないと、きれいに写りません(笑)。
下記は、現場であの時はこのやり方で大丈夫だったのに、今回は通用しないと言う事が良くある中で、読み直さないといけない箇所だと思われます。
だから当施設は、妄想ー分裂ポジションからどうやって、抑うつポジションに(大雑把な言い方ですが)持って行けるか?を考えながら支援させて頂いています。それはまた、何かあった時にだけ対処しても無理なので、常日頃からその方の体調から、精神の状態まできちんと見させて頂いていないと、考える事ができない事でもあります。そうしていないと、その方の変化に気づく事さえできず、自分が逆に転移して、その方に諦めを感じさせてしまいます。逆転移が重要視されたのも、そういうところからではなかったでしょうか?
~憎しみをもつ外的対象や愛されている外的対象を内在化することは、わずかばかりの安全を一時的に確保するだろう。
しかし必然的に、新しい(現実もしくは幻想の)危険が現れるので、自己の部分と部分対象の新たな編成が必要となる。
危険にさらすものをさらされるものから分割することの価値への信念と、この安全がどのように達成されるかについての信念は関連している。
それはたとえば、自分の内部の対象の方が支配しやすいという幻想であり、投げ出した対象は追放されて二度と戻ってこないという幻想である。
これが、妄想-分裂ポジションの現象学であり作動様式である。~