年賀状と、メリー・スリスリマス(笑)と、チーズケーキと、【投影同一化は、分割の過程を心理的-対人的に練り上げたものとして発展する。】
今年から、アトリエ・カーグ担当の女性職員さんがいのうえっちの絵と書で、素敵な法人の年賀状を作ってくれました。これからアトリエ・カーグは、3人の女性が中心となってやって行くそうです!センスが良い方ばかりなので、楽しみですね!
あれだけ、クリスマスの前に、サンタやトナカイさんになっていたのに(笑)、今日はクリスマスの曲をギターで弾いても、おっちゃんが秘かに1年かけて弾けるようになった(笑)、ジャジーなホワイトクリスマスも弾いたのに、喜んでくれたのは、りえさんとショートの方のみ.......。今日は着ないの?にも苦笑いだけでした(笑)。
ゆうちゃんが、いのうえっちに、すりすりしていたので(笑)、メリー・スリスリマスに、しました(笑)。
ボランティアさんが、自宅でチーズケーキを作って持って来てくれましたが、今日は見るだけで、明日の朝食で頂くそうでした。残念ですね......。お菓子教室をしたいと言われている、ハイソな方なので、きっと美味しいでしょうね!
オグデンが続きますが、オグデンの本が見当たりません(笑)。誰かが借りて読んでいてくれたらいいのですが。
刺激が体験と変形されるには、そのデーターは意味を付与されなければならないというのは、どんと胸に突き刺さりますね!だから今のバーチャルな体験だけで、本当に自分の身につくのか?時代が進むと、それが現実になるのかも知れませんが、何か違うような気もしますし、AIが判断するとまだ、人間として間違っているのでは?ということがあるみたいなので、少しは安心できますが、これから10年・20年と経つにつれて、本当に何が現実で何がバーチャルなのか?の境界線が大分動いていそうですね。それが良い事なのか?悪い事なのか?は、まだまだ分かりません。
~投影同一化は、分割の過程を心理的-対人的に練り上げたものとして発展する。
最初、乳児はなまの感覚データに直面する。
この刺激が体験へと変形されるには、そのデータは意味を付与されなければならない。
意味が付与される(ビオン[1962a]のいう「アルファ要素」へと変形される)以前には、感覚データは単に「ものそれ自体」(ビオンのいう「ベータ要素」)にすぎない。
たとえば、乳児の血糖値低下は生理学的に登録されるが、このできごとは、まだ空腹という体験を構成しない。
空腹という体験が、感覚データへの意味の付与を含んでいるからである。~