うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

避難訓練と、男性の尿漏れをサポートするコンドームカテーテルと、【しかしさらに重要だと思われるのは、羨望される他者が患者自身である場合にも羨望が惹き起こされることが多いということである。】

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今日は、うたたね管理者が、立てた計画に基づき、大きな地震を想定した避難訓練を実施いたしました。休みの職員んさんも出て、大掛かりなものでした。

 思っていたより、避難場所までの時間がかからずに、みなさんびっくりしていましたが、夜間だと職員も少なく、暗いので、訓練通りには行かないでしょうね。色んな問題点も提起されたので、次回はそれを踏まえて実施すると、管理者が言っていました。今回の計画も、きちんとした計画書を作ってくれていましたが、色んな意見が出ると言うのも、良いことだと思われます。

 ただ、何もしない人間が、頑張って作った人間を非難だけするのは世の常ですが、そんな人間にはなりたくはないですね!今回はそれは無かったので良かったです!

 

 

 いきなりですが、頚椎損傷の方に下記を教えて頂き、勉強になりましたので、アップさせて頂きました。サンプルが欲しい方は、その方(浜松の方で、サイトの方ではありませんので、お気を付けくださいね!)に言えば頂けるとのことでした。うたたねっとで申し込んでくださいね。数に限りがありますので、ご了承ください!

 以前は、その方が加工されていた感じの物でしたが、サイトを見る限りでは、完全な製品ですね!

 

 

 下記は、少し難しいですが、現在読ませて頂いている、アーサー・クラインマンの臨床人類学には、社会的リアリティと象徴的リアリティのことに触れていて、自分の周囲の(社会や家族など)ものを、内在化する方法を記述されていて、下記にある、患者の内部に成長してくるものと言うのは、そのことを言っていると思えば、理解がしやすく感じました。自我というものは、イドと超自我との折り合いで出来るのだとすれば、誰かの言葉を借りれば、自分ではなく、社会や家族などに影響されてできた物なので、本当の意味では、自分ではないので、羨望する対象になるのも不思議ではありませんね。それなら、本当の自分は何処に.......。

 

考察
 ~羨望をひきおこすものが何かについて詳細に考察すると、さらに一致が見られると思われる。

 クライン(1957)は羨望は、乳房の良い側面によって惹き起こされると考えた。この側面をクラインは「母親の良さの原型であり、創造性とともに、尽きることのない忍耐と寛大さ」(p.180)であるとみなしている。

 しかしこの見解で、乳房、関係性の中で観察していることは明らかである、と私は考える。ビオン(1958)はこのことに気づき、もっとも羨望されるのは対象と対象の間のつながりである、という考えを提唱した。

 小さなこどもの、母親が新しく生まれた乳児と一緒にいるのを見るときの羨望には気づきやすいが、しかしさらに重要だと思われるのは、羨望される他者が患者自身である場合にも羨望が惹き起こされることが多いということである。

 この時には、患者の内部で成長してくるものが、羨望される他者を象徴していることがある。ビオンはこのようなつながりは分析家と患者の言語的つながりによっても刺激され、羨望を惹き起こすがあるという。

  また患者から分析家への投影同一視を通じたつながりによっても刺激され、この場合、分析家はこのつながりを受容し、理解することが難しい。