うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

大阪に向かっていますと、【「たぶん驚かれると思うが、『土着の治療者はあつかうケースの大部分を〔まちがいなく〕癒す』というのがデータにもとづく筆者の結論である〔I draw the perhaps surprising conclusion that in most cases indigenous practitioners must heal〕」(邦訳p.393)。】

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今日は、少し無理して(笑)、大阪に向かっています。今は、養老で休憩しています。もう少ししたら、草津まで走り、仮眠してから、大阪に入ります。

 

 

下記の箇所は、少し刺激的ですが、言わんとしていることは、理解出来ないこともありませんね!
 

第3章 クラインマンから学んだいくつかのことふたつの「おどろくべき結論」
さてこうした事例提示たい暫定的なまとめを記した後で、クラインマンは以下のような一連の「おどろくべき結論」を展開することになる。
「たぶん驚かれると思うが、『土着の治療者はあつかうケースの大部分を〔まちがいなく〕癒す』というのがデータにもとづく筆者の結論である〔I draw the perhaps surprising conclusion that in most cases indigenous practitioners must heal〕」(邦訳p.393)。
 なぜ、癒すことができるのだろうか。それは、土着治療者は三つのタイプの心身不調〔障害〕を扱うからである。ひとつは、急性の定型的疾患(これは自然に治癒するものである)。二つ目は、生命には別条ない慢性の疾患(このまま場合は、疾患の生物医学的な着衣より、病いの〈心理社会的・文化的な〉問題を扱うことができるかどうかが問題になる)。そして三つ目は、比較的軽い心理的障害や人間関係上の問題の二次的な身体症状(身体化)である(邦訳p.393:原著p.361)。これらの心身不調のケアするおいて、疾患の治療はそれほど大きな役割をもたない。事の正否は病いの心理社会的・文化的側面を扱うことができるかどうかにかかっており、土着の治療者は、(常にではないが)通常、心理社会的・文化的な治療を最大限に活用して、非常に巧みに病いに対処する。~