うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

作品のデーターと、【心理臨床は、出会いを生きる「いのち」の営みである。】

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 昨日写して頂いた作品のデーターです。近直、大阪に行くので博物館の学芸員さんと時間が合えば、お渡ししてこようと思っています。JPEGの軽いものと、重いものと、TIFF(いい加減に効いていたのでGIFと言われていると思ってましたが....)という、初めてしった画像ファイルがあり、普通のパソコンでは、開かないか時間がかかるとのことで、挑戦してみましたが、諦めました.....。業者さん用の物なのでしょうか?ネットで色々調べてみましたが、下記が一番分かり易かったので、軽く引用させて頂きました。

開き方も書いていましたが、仕事用のパソコンなので、何かあってからでは遅いかな?と止めて置きました。

 

 

tif(ティフ)」は、TIFF形式の画像ファイルにつく拡張子です。

 TIFFTag Image File Formatの略であり、windowsmacに関わらず読み書き可能な画像ファイル。

 画像ファイルには、ほかにも

   JPEG/JPG(.jpeg/.jpg)

  GIF(.gif)

  BMP(.bmp

  PNG(.png

  PICT(.pict)

 などがありますが、TIFF(.tif)もその一つです。

 

 

 夜勤明け、いつものルーチンを(笑)こなすために、ファミマでコーヒーを飲みながら、皆藤章先生の本を読み終えました。明日は復習させて頂きます。

 東畑先生の本を読んで、涙が流れたのは、皆藤先生の影響ですね!皆藤先生の本も、専門家相手に書かれている本なのになぜか涙が流れて来ます。

 二冊買ったもう一つは違う方でどちらかと言うと哲学的な本なので、それを読ませて頂いてから、クラインマンの、皆藤先生が訳された本を読ませて頂こうと思っています。高価になってしまっている本は、暫くは諦めますが.......。

 昨日に引き続き皆藤先生の本からのアップです。福祉は何で現場が一番下に扱われるのでしょうか?イギリスの子どもの精神分析家の仕事の中にも、下の世話はあると、他の本に書かれていましたので、学習量(偉そうな、違う方もたくさん知っていますが、相談支援が、自分たちはオーケストラの指揮者だ!とほざいていますが、ヘルパーしかやったことが無い方に現場の何が分かるのか?皆藤先生の本に書かれているように暮らしを知らなければまともな支援が出来ない事も、そういう方たちには想像もできないのでしょうね)の違いでしょうか?立派な学歴・経歴がなくても、学ぶ方法はいくらでもあります。その努力をしないから馬鹿にされるのでしょうか?排尿や排便には沢山の情報がありますし、睡眠もそうです。昨日のショートさん達は、全員無呼吸など、睡眠時に問題を抱えておられる方々だったので、気道確保など、その方が一番良眠できる姿勢を取るようにして、朝まで起きる事無く眠って頂けました。皆藤先生が言われる「いのち」の営みを身近にみることができる時間帯でもあります。ハリー・スタック・サリバンは、うとうとしているその姿が、授乳していた時の姿だと言っていたと記憶しています。

 

 傾聴も受容も共感も人間理解も、やり方次第ですね。やはり人間同士が理解しあえるには、魔法なんてなく、時間だけでもなくて、本当にお互いがお互いの事を見ているという事がなければ理解は難しいと、現場にいてそう思います。

 

第2章 心理臨床の感性おわりに
 心理臨床の場にもたらされるもの。それを感じとる力が心理臨床家には不可欠である。

 心理臨床がひととひととの関わり合いの場に登場して以来、その力は「傾聴」「受容」「共感」「人間理解」などといったタームで表現され、それを身につけるためにさまざまな訓練が試行錯誤され産み出されてきた。けれどもそれらは、机上は理解という脈絡に絡め取られていった。次第に、そうしたタームは軽々に扱われ、ことばに込められた真意は置き去りにされていった。

 こうしたことの背景には時代性も大きく関わっていた。科学的合理性は、ひとが生きる複雑な在りようをシンプルにし、「生きる」をモデル化していった。そのようにして、心理臨床の場にもたらされるものを感じ取る力も、タームとしては理解可能だが、その実践はきわめて困難になっていった。それどころか、心理臨床そのものも理解の次元に居場所を見つけたかのような現状である。
 心理臨床は、出会いを生きる「いのち」の営みである。そう冒頭に述べた。それはまた、自然との関わり合いからもたらされる「いのち」を知る営みでもあるとも述べた。営みの視線から「生きる」を取り戻したい。それがわたしの真意である。