うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

昨日の夜勤と、病院の再編検討と、【ひとりひとりの人生の語り・傾聴は、ふたりがいのちのときをともに刻むことであり、それはいのちを継承していくことなのである。】


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 昨夜は、夜勤でした。いつものうたたねでした!いつもと同じというのは、素晴らしいことですね!ショートの方とも音楽を楽しみました!ボールで遊んだり、マッサージ器を当てたりして、寝るまで過ごされていました。

 

 

 今日は、碧南から副理事長が来る日だったので、眠らずにお昼をご一緒させて頂きました。先日ニュースでやっていた上記の話になり、福祉もその内淘汰されていく(既にされている分野もありますが)ので、そのつもりで日々考えながらやっていかないといけないとの指摘を受け、まさしくその通りだと思いました。障がい福祉の方もおそらく近いうちに1割負担が出て来るかも知れないので、お金を支払ってでも受けたい支援になって行くにはどうして行けば良いのか?現場でみんなと考えて行こうと思っています。お金も必要ですし、結局はお金持ちしか生き残れないなんて嫌なので、ソフト面で生き残れるようにしたいと、痛切に感じるこの頃です。

 それには、下記のようなことも必須ですね!皆藤先生からの引用です。

 

 

 

3,あばかれる生

 ~クライマンはわたしに、生死のぎりぎりのところで生きているひとは、自分の話をわかってくれるひとかそうでないかをたちまちのうちに見分けると語ったが、これは心理臨床家の在りよう・姿勢のことを指摘した例である。

  心理臨床家は語り手をあばくのではなく、そのひとの語り口、ひとりひとりの人生の語りを、敬意をもって謙虚に聴くことが必要なのである。

  心理臨床の場を訪れる語り手の語りは尊い。簡単に言い切ってしまったが、この在りようは、ひとつのモデルを手にした心理臨床家にはそうとうに困難なことではないかと、わたしは密かに感じている。心理臨床家は語りを聴いたとき、その語り手のいのちのときを心理臨床の自身も生きていることを感じとらねばならない。それが、「生きる」からの視線で語りを聴くことであり、語り手の人生の旅の同伴者となることである。

「縁」あって生まれた心理臨床の場はコスモス(宇宙)となり、ふたりの道行きはコスモロジー(この世界全体)を生きる旅となる。それはまた、いのちの継承でもある。ひとりひとりの人生の語り・傾聴は、ふたりがいのちのときをともに刻むことであり、それはいのちを継承していくことなのである。