今日は、お天気が悪かったので、ドライブとすき屋さんに行って来ました。
としちゃんはメガ!でも、直ぐになくなっていました......。体重を気にしなくてもよいのなら、メガを食べてみたい.......。
豊橋と渥美の送迎で、自分の仕事は終わり、先程、明日の準備をしました。ちょうど雨が上がったので、助かりました!明日は、アトリエ・カーグとバンドクラブの日です!
今日は、早番で少し早めに出て、ファミマで本を読みました。自分は若い方から逆に(東畑先生から、皆藤先生、クラインマン先生と)入りましたが、一つの教えが連綿と続きそうで(発展しながら)、これからの若い方にも期待できそうです!
生々しい体験は、目の前にあります。それを避けては通れないことを皆さんは知っていますが、見て見ぬふりをしてしまいがちですが、それと同じことを他人がしていたら、目くじら立てて怒るというのは、昨今の流行のような感じもしますが、今の野党の方々も同じようなことをされています......。
本当に利用者さんのことを思うのなら、本当に国民のことを思うなら、目の前にある生々しいことをきちんと見つめて処理してから、新たな方向性を見つけて行くべきではないでしょうか?
ケアをすることの意味
病む人とともに在ることの心理学と医療人類学
皆藤章編・監訳
アーサー・クラインマン+江口重幸+皆藤章 著
第1部
第1節 心理臨床家としてわたし
2 生きる心理療法を巡って
~すでに述べたが、心理療法はこれまで「治す」「治る」パラダイムでもって人に向き合ってけきた。そのようなスタイルでは「治らない」人に対して心理療法は無力といってもよいだろう。
新たなパラダイムは、人間というのは存在がこの世に生きて在ることの生々しい体験を基盤にするものでなければならない。そのことは、科学の知によって体系化されてきた心理療法がその営みの原点に戻すことなのである。
クラインマンは「病い」という言葉を、人間に本質的な体験を意味する概念として用いている。それは、科学的に構成された概念である「疾患」とは異なる。ここに、病いを生きる人間に関わるクラインマンの在りようを見ることができる。~