うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

みんなでツイストと、【ここで焦点をあてていく自己感は、もしそれがひどく障害されたとしたら、正常な社会的機能を妨害し、精神の異常をきたし、重篤な社会的欠陥状態を引き起こしかねないものです。】


 昨日の夜勤では、おっちゃんの2弦しかついていない(笑)ウクレレで(理論が頭に入っていれば十分楽しめます!)ロックンロールのリフを弾いたら、まりちゃんがツイスト!皆さんもつられて、ツイスト!大盛り上がりでした!


珍しく利恵さんは、見てるだけでしたが、楽しそうでした!



 昨夜、更新しようとしたら、上手くアクセスできず、諦めて今しています。



 先程、レーダーを見ながら、ファミマで本を読んでいて、小雨になりそうな時間まで読んでいました。
レーダーを見て歩いて帰宅しました。夕方は晴れる様なので、自転車を取りに行きます。


 ねこさんが、帰って来なくなって何日経つでしょうか?
死に場所を見つけに行ったかもしれません。様子がおかしかった日が続いていましたので....。でも、もう少しねこさんのものは置いておくようです。ひーひー王子が先に逝くかと思いましたが、4日間入院して命が助かりました。
ねこさんは、捨て猫だったようなので、野生の血が残っていたのでしょうか?






 下記は、本当に分かり易く小中学生の時に、偏見に満ちた道徳なんかよりも、こういうことを誰でも分かるようにして頂いて、教えていけば、自分も他者も大事に思えるのではないのか?といつも思います。体育も人と競争するのではなく、野口体操やアレクサンダー・テクニークまでとは言いませんが、自分の身体をどうすれば自然な姿勢になり、肩こりやそれに伴う頭痛等にならないようなストレッチ等を学習する方が、健康的で社会に出ても役立つように思います。




 〜言葉をもつ以前に存在すると思われる自己感を研究の中心に置く第2の理由は、臨床的に、対人関係の正常な発達を理解するためだけで、ここでは、無生物の世界での遭遇ではなく、日常の人と人との相互作用に欠かせない自己感というものを主に考えています。したがって、ここで焦点をあてていく自己感は、もしそれがひどく障害されたとしたら、正常な社会的機能を妨害し、精神の異常をきたし、重篤な社会的欠陥状態を引き起こしかねないものです。そのような自己感には、次のものが含まれます。発動の感覚(これがないと、麻痺、自分の行動なのに自分がしていると思えない感じ、外的な力に対してコントロールが効かなくなるような体験が起こりかねない ;身体的融和の感覚(これがないと、肉体的な体験の断片化、離人感、体外out)of body体験、現実感の喪失が起こりかねない ;連続性の感覚(これなしでは、一時的解離、もうろう状態、健忘、Winnicottの言う“存在し続けることgoing on being”でないこと、が起こり得る) ;情動の感覚(これがないと、アンヘドニア解離状態が起こりかねない) ;他者との間に間主観的intersubjectivityを確立です主観的自己の感覚(これがないと、途方もない寂りょう感や、極端な場合精神が見透かされているような感じが起こり得る) ;オーガナイゼーションを創造しているという感覚(これがないと、精神的混乱に陥りかねない) ;意味を伝達しているという感覚(これがないと、文明からの排除、交際の欠如、個人的知識の妥当性確認不能が起こり得る)。要するに、これらの自己感は、正常、異常にかかわらず、社会的発達における主観的体験の基礎となるのです。〜