うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の散歩と、【少なくとも乳幼児側には、ないことは確かである。行為は、何かを象徴してはいない。行為は行為そのものである。】


 今日も、金曜日の散歩に当たってラッキーでした。
初立池に行こうとしたら、雨が降ってきたので、蔵王山に向かっていたら、止んで来たので芦が池に行きました。
 早めに二周できたので、今日はゆっくり整容をさせて頂けました。



 午後からは、白谷に行きました。
かすんで見える自動車船も、中々風流でした。




 まだまだ余裕だったので、滝頭公園に行き歩きました。
他の施設のマイクロバスも止まっていました。


 結局、約20,000歩で、消費カロリー508Kcalでした。
ご飯約3杯分しか消費していない......。何だか数字にするとショックですね(笑)。




 本は、早めに出てファミマで読みました。まだまだ復習ですが、2冊目のスターンはやっと80頁です。約240頁ありますので、1/3ですね!
今月中に読む目標を立てています(笑)。

 星の王子様ではありませんが、本当に大事な、大切な事、本当のことは言葉では伝えられない物ですね!何をしたかよりも、在り方が大切だと誰かが書いてました。
 『母親は当然声を出して、歌ったり、意味のあることやないことをたくさん言うであろうが、母子どちらにとっても、言葉の内容は必ずしも重要性はない。つまりこの状況はほぼ全面的に非言語でありうる。』


 下記は、またまた、フランス詩の印象派の奥義を思い出しました。『詩は詩であって、それ以上の物ではない』と。
しかし、その行為の繰り返しが、オーガナイズされていくと思われるので、それは逆説的に大事なものだと思います。
 『行為は、何かを象徴してはいない。行為は行為そのものである。』





3.臨床的に重要な出来事の読み取り
 乳幼児や親−乳幼児関係について豊富な経験をもっていない多くの臨床家を当惑させるのは、この相互作用が、ありきたりで、非言語的で、ささやかな性質のものであって、それが期待はずれであったりユニークであったりすることである。成人ばかりでなく子どもの心理療法の訓練を十分にしていても、この臨床状況への準備になるとは限らないし、事実それが邪魔になることもある。 親−乳幼児治療では、マイクロイベンツを構成している非言語的な行為と相互作用に基づいて臨床の物語を読むことでまず最初の組み立てを行う。母親は当然声を出して、歌ったり、意味のあることやないことをたくさん言うであろうが、母子どちらにとっても、言葉の内容は必ずしも重要性はない。つまりこの状況はほぼ全面的に非言語でありうる。 この状況はまた象徴的である必要もない。もっと年長の子どもの遊戯療法では、象徴的な遊びが活用されよう。観察者は、遊びの行為は潜在する精神力動的なテキストの象徴であり、通常子どもではなく治療者が、それを言葉で語るであろうと想定する。ところがこのもっと早期の親−乳幼児相互作用には、これはあてはまらない。通常の意味での、潜在する精神力動的なテキストはそこにはない。少なくとも乳幼児側には、ないことは確かである。行為は、何かを象徴してはいない。行為は行為そのものである。そこに含まれる行為のパターンも、それにまつわる直感的が解釈も、生得的、系統発生的という観点から、多分に重複決定的になされることになる。われわれは人間行動学によって最もよく説明できるような水準の、(人類というのは)種に特有の出来事に出会っているのである。〜